忘れ物-3
友里は僕と向かい合わせにベッドに腰かけた。その時、ローブの合わせ目の奥に白い布が見えた。僕は胸がジクっと疼くと同時に何故かホッとした。
「…焦っちゃったんですよ、私。」
「え?あ、え?なに?」
僕は混乱してしまっていた。ローブの奥に見えた白い布への二つの感情で。
「他の人の告白の橋渡しを平気でされるなんて。このままでは、このままでは、って。」
「それはつまり…」
「そうです、好きだったんですよ!先輩。」
ズン。っと重い衝撃が体幹を貫いた。
うわぁ、もったいないことした。こんな可愛い子を。じゃ、なくて。
「だから、教室の窓から走ってる先輩が見えたとき、何も考えられなくなって、私…私!」
友里は上目遣いに、睨むほどの強さで僕を見つめている。
「それなのに僕は手を振り返さなかった。」
コクン、と友里は頷いた。
「そういうことか…。」
「迷惑…だったんですね。急に手を振られて。」
「いや、驚きはしたけど、迷惑には感じなかったよ。ただ。」
友里は視線で僕の言葉の続きを促した。
「あの時、後ろにアイツ走ってたから。」
一瞬の沈黙。
そして友里は顔をひきつらせ、唇を震わせた。
「そう、前の日に撃沈された女の子が他の男に手を振ってて、それに応えて振り返したら。」
僕が好きだった女の子と、それを知りながら目の前でくっついて見せつけた男が居た。それがどれだけショックなことだったか。今でも忘れられないくらい深く刻まれてしまった傷痕。それと同じことを、僕は出来なかった。
「私…そんな…酷いことを…。」
「酷くはないさ。タイミングが悪かっただけ。それに、それを言うなら僕も須藤さんに酷いことをしちゃったわけだし。それにね、正直迷ったんだ。あいつが傷つくのを承知で手を振り返してしまおうか、なんて。だから、二度見したんだよ。」
すれ違い。
友里は焦った。僕は迷った。
もしも違う形で気持ちを知ることが出来ていたなら。
「ねえ先輩。」
彼女の目は寸分のブレもなくまっすぐに僕を見つめた。
「可愛い後輩だと思ってくれた。可愛い子だと思ってくれた。今も私をそう思ってくれますか。そして、今の私は先輩の恋愛対象になりますか。」
僕は友里をまっすぐに見つめ返した。
「会いたかった。須藤さんに。この胸のわだかまりは何だろう、あの時いったい何が起こったんだろう。それを知りたくて、本当は気の進まない同窓会に出席した。それは正しい選択だった。たった今、その答を見つけたんだから。」
ふ…。僕の頬が緩んだ。
「あの頃、僕は君に恋してたんだ。」
友里の頬も緩んだ。
「先輩…。」
「それはどうやらずっと続いていたみたいだ。歳下に手を出さなかったのは、きっと心のどこかで君を思い出していたんだろうね。何人もの女を知った今でも、それは変わらない。」
「愛して…くれるんですか?あれから十年も経ってしまった私を。何人もの男といい加減な関係をもってきた私を。」
「それについてはおあいこ、かな。」
「信じていいんですね、だったら私…。」
友里は僕から視線を外さずにローブの胸元に手をかけた。
「待って。君は勘違いをしている。」
「え…?」
「いま君が見ているのは僕じゃない。僕から透けて見えているあの頃の僕だ。高校三年生で、部活の先輩で、君の気持どころか自分の恋にも気づいていない、鈍いやつ。」
「先輩は先輩、同じじゃないですか。」
「違う。あれから僕は何人もの女を知り、結婚もして、君の知らないたくさんの出会いをした。様々な経験を通して、僕は今の僕になった。」
「それは成長じゃないですか、変化じゃなくて。」
「変化のもっとも典型的な例が成長なんだよ。同じ延長線上にあっても同じじゃない。素手の殴り合いが時を経て核兵器になったように。」
友里は口元をもぐもぐさせるばかりで言葉が出てこない。作戦成功だ。わざと小難しい理屈をこねて黙らせる。ズルいが効果は絶大。
「時が過ぎるって、そういうことじゃないかな。」
ふ、ふふふふはははっ!
「え?ちょ、須藤さん?」
友里が突然バカ笑いを始めた。
「相変わらずですね。」
「な、何が?」
「成長だ変化だ言いながら、そういう理屈こねるとこ、全然変わってないじゃないですか。」
「え…。ま、まあそれはそうかもしれないけど。」
「それに。素手の殴り合いも核兵器も、殺し合いという本質は変わってませんよ。」
「う…うん。」
まいったな。彼女の言う通りだ。
「理屈はいいから。抱きたい、抱きたくない、どっちなんですか?さっさと決めて下さいよ。」
な…。
「驚きましたか?私だって先輩の言うところの成長、変化してるんです。当り前でしょ?いつまでも15の小娘じゃないんです。」
友里は改めて自分のローブの胸元を両手で掴み左右に広げようとした。
「待って。」
「抱きたくない、が答ですか。」
「そうじゃないよ。君はもう一つ忘れている。」
「え…。」
「須藤さん、君には夫がいる。」