時間-1
(1)
車は滑るように高速道路を走ってゆく。晩秋の紅葉、雲一つない青い空。観光シーズンもそろそろ終わり、車も少ない。爽快な気分だった。
「タバコ吸ってもいい?」
「うん。気にしないで」
助手席の京子が微笑んだ。
(京子が乗っている……)
榊京子……。小学校の同級生である。
(こんなことがあるんだ……)
東京を出てから途中の休憩を含み2時間半を超えて共にいる。それでもどこかに現実感がない。……
京子はよく喋る。小学校の印象そのままだ。思いつくまま話題が変わる。
「葛西くん、一日何本吸うの?」
「ひと箱半かな。飲みに行ったら二箱」
「40本?吸いすぎよ。体に悪いわよ」
「いままで何もないんだ。いまさら関係ないよ。無理にやめるストレスのほうがよくないよ」
「しょうがないなあ」
京子はけらけら笑う。
「さっきの釜めし、昔と変わらないね」
「横川の」
「うん。昔、駅で食べたなあ。お釜持って帰って雑炊作ったりして」
私たちは60歳、還暦である。
5年前、初めてのクラス会があった。私が企画して開催したのである。卒業後、私は父の転勤で別の中学へ行った。以来、級友とは交流はなく、年齢とともに当時に馳せる想いが心を動かしたのである。
誰とも連絡がとれない状況の中、新聞掲載、地元に赴き、訪ね歩き、出来る限りの活動の末、開催にこぎつけた。
「葛西君、すごいよね。一人やったんだもんね」
「みんなに会いたかったんだ……」
純粋にそれだけだった。
地元の中学にも行っていない。43年も経っている。もう忘れ去られているのではないか。不安と、期待が入り混じったものだった。
感動の再会。私はクラスの1人として存在していた。
「葛西君でしょ?憶えてる」
榊京子……。心の内で憧れていた女子だった。活発で、可愛くて、勉強ができる。クラス委員もやっていた。……
5年後、還暦を迎えた年に級友の高瀬から案内が届いた。
『完全にリタイアしました。長野県のT市に永住します。よかったらみんなで泊まりに来てください。お待ちしています』……
まだ仕事を続けている者も多い。年金受給もまだ先だ。
(余裕があるんだな……)
案内はほとんどのクラスメイトに送っていたらしい。
「どうする?」
何人かから連絡がきた。
「ちょっと、遠いよな」
「仕事があるし……」
結局、5人が行くことになった。
しかし、日程が決まったあと、
「ちょっと、急な用事で……」
1人、2人と欠け、出発3日前には私と京子だけになってしまった。ゆったり行きたいとレンタカーも予約していた。7人乗りのワンボックスである。盛り上がって決まった旅行ではなかった。
「中止するしかないな」
京子に電話して、
「みんな、もともと行く気がなかったのかな」
「そうねえ……」
連絡を受けて、誘いの勢いで返事をしたのではないか。
1人、ぽつんと言った。
「なんか、気乗りがしないこともあるけどな……」
理由を言ったあとに口にした。
高瀬はクセがある。自分の自慢話ばかりする傾向は小学校の時からあった。クラス会の自己紹介の挨拶でも自分の仕事のこと、いかに成功したか、今があるか、長々と喋って陰で顰蹙を買ったものだ。
「中止にしよう。高瀬には連絡しておく」
「うん……そうだね……」
答えたあとに、
「葛西君……」
京子の声が心持ち小さくなった気がした。
「2人で行かない?」
「高瀬のところ?」
「ううん、どこか、温泉とか……」
とっさに言葉に詰まり、すぐ、
「いいね……」
「せっかく車予約したんでしょう?」
「キャンセルすればいいけど」
「使おうよ。だめ?」
『だめ?』というその一言、言い方がなぜか、私に食い込んできた。甘えた口調に感じたのである。
「行こうか」
揺らぐ気持ちを隠すように明るく言った。
高瀬の『住みか』に行かないのであれば、何も長野でなくてもいいようなものだが、
「どこにする?」
「任せる……」
京子の言い方はどこか力が抜けたように伝わってきた。
「どこにしようかな……」
「どこでもいいよ。葛西君の行きたいところ。いろいろ知ってるんでしょ?」
「そうでもないけど……」
「あたし、付いていきます」
言ってから笑った。
考えた末、予約したのは、
(TK温泉……)
「友達の家にみんなで行くんだ」
妻に言ってきた手前、長野方面になってしまった。
1泊する。温泉に2人だけで行くのである。京子と互いに何も確認はしていない。京子は何も言わず、
「任せる」と言った。
私も条件は言わなかった。60歳といえども、気持ちは大いに揺れた。
京子の真意は測れない。
思えば不思議な展開である。小学校の時はほとんど会話もなかったと思う。5年前のクラス会で初めてまともに口を利いたといってもいい。それが2人で温泉に向かっている。まさか彼女の初恋の相手が私であるはずがない。……