マリア-19
祐司の事務所に良く出入りするブローカーの1人に山本という男がいる。ブローカーの中にはトレーナー上下を着て本当の金持ちは衣服に構わないもんさというポーズを取っている者もいるが、この山本いう男は感心にいつもスーツとネクタイ姿である。しかしスーツもネクタイも一つしか持っていないらしくて、いつも同じでよれよれなのは頂けない。元はまともな仕事をしていたこともあるようで、口のきき方もブローカーの中では常識を弁えた喋り方をする方だが、やはりブローカーの世界に染まっているせいか、時々ハッとするようなヤクザな口をきくこともある。勿論事務所も無いし、肩書きも無い男だから、祐司の事務所に来ては暇つぶしをして帰っていく。たまに倉田と鉢合わせすると卑屈なくらいの態度になるが、倉田がいないと倉田なんかまるで自分の子分みたいな言い方をする。
祐司は仕事が無くて暇だから来客は歓迎しているが、この山本という男はそろそろ鼻についてきて、出入りを断ろうかと思っている。まるで自分の根城のように腰を据えて競馬新聞など読んでいるのだから、他の来客があったような場合に雰囲気が良くない。倉田に山本を出入り禁止にしようと思っている旨言うと、あんなのは糞にたかる小蠅だから、追い払おうとほっとこうとあんたの好きにすればいいんだという答えであった。
「会長の前では惨めなくらい卑屈になるのに、会長がいない時は『爺さんいるかい』なんて調子でまるで会長なんか自分の弟分か子分みたいな言い方するんですよ」
「そうか。俺も爺さんであることに違いは無いな」
「当たり前です。婆さんの訳は無い」
「あんた、いい年こいて純情なんだな。ブローカーなんて暗闇で後ろから突き刺すようなこと平気でやる人種なんで、言葉遣いなんていちいち気にしてたらこの世界で生きていけないぜ」
「そうかも知れないけど、この事務所の中だけはまともなビジネス社会の雰囲気を保っていたいんですよ。競馬新聞なんか僕は読んだことも無いけど、あんな物ポルノよりもっと恥ずかしいと思いますね。電車の中であれを読んでる人を見ると軽蔑を通り越して哀れみを感じちゃう」
「そうか。あんたギャンブルはやらないもんな。俺なんか今でこそ無一文でやらなくなってしまったが、昔は1レースに100万単位でつぎ込んだもんさ。俺は競馬より競輪と競艇だったけど」
「阿呆臭い。金儲けの為に金を使うのは投資だから遊びじゃ無いんですよ、本来は。だけど博打はそのこと自体が面白くて金を使っているんだから遊びなんです。遊びだったらそれで金儲けしようなんて考えてはいけないんです」
「そうか。あんた元弁護士だけあって時々屁理屈こくけど、要するに博打が嫌いなんだろ?」
「ええ、大嫌いです」
「嫌いな者に博打の醍醐味は分からんからな」
「そんなもの分かりたくも無い」
「まあ、人それぞれだわなあ」
「ええ、だから競馬新聞読もうが、ポルノ見ようが、そんなこと人の勝手ですけど、この事務所でそういうことをして欲しく無いって言ってるんです。あの桃子さんという人もコンピューターでインターネットのモロ出しなんか見ては駄目よって言ってました」
「そんなこと言いおったか。あれは固い女だからな。生け花の師匠やってんだ」
「あ、それで花の名前を知ってるだけ言ってみなさいなんて言ってたんですね」
「ほう。あんたいくつ言えた」
「そんなこと突然言われたって数言えるもんじゃ無いですよ」
「それでいくつ言えた」
「だから花の名前なんてたくさん知ってますけど、突然言われたって口から出て来ないもんですよ」
「言い訳はいいからいくつ言えたんだ」
「5つでした」
「ガッハッハッハ。たったの5つか。それは良かった。あんた、こんな花1000円もしないのは常識だなんて言いおってからに、たったの5つかよ」
「いや、だから突然だから思いつかなかっただけで、本当は沢山知ってるんです、花の名前くらい」
「まあいいじゃないか。花の名前なんか知らなくたって生きていくのに困ることは無いんだ」
「それはそうです」
「5つだって生きていけるのさ」
「それはだから・・・、まあいいか。ああいうことを言って人を虐めるのがあの女性の趣味なんですね、きっと」
「そうなんだ」
「愛の与え方が不足してるんじゃ無いですか」
「何だ? それは」
「だから立たなくてもいろいろ方法はあるんだって言ってたじゃないですか。その方法の与え方が不足してるから、欲求不満が募ってああいう風に人を虐めて喜ぶんじゃないんですか」
「ガッハッハッ、ゴホゴホゴホ。あんまり笑わせるなよ。咳き込んじゃうじゃないか」