マリア-16
「男は駄目ね。それじゃ、知ってる花の名前言ってごらんなさい」
「花の名前ですか?」
「何でもいいから」
「チューリップ」
「それから? 知ってる名前全部言ってごらんなさい」
「コスモス、菊、梅、桜・・・他にも有りましたっけ?」
「チューリップ、コスモス、菊、梅、桜か。5つね。うちの人より酷いわ。うちの人でも7つ言えた」
「あと2つですか。えーと・・・」
「もういいわよ。考えなくても言えるのを聞いたんだから。私、花でも持って来ようと思ったんだけどやっぱり持って来なくて良かった」
「どうしてですか?」
「ろくに花の名前も知らないような人が世話するんだから、1万円の蘭の花買ってきたってどうせ直ぐ枯らしちゃうでしょ。それに第一価値が分からないでしょ?」
「まあそうかも知れませんね」
「貴方は先生とは長いの?」
「はあ、まあ」
「あの人此処へ女を連れ込んだりしていない?」
「いえ、そういうことは無いようです」
「無いようですって、貴方いつも此処にいるんでしょう?」
「ええ」
「ちょっと名刺貰っておこうかしら」
「僕の名刺ですか?」
「貴方しかいないじゃないの」
「はあ。ではどうぞ」
「高木祐司か。いい名前ね」
「そうですか」
「ええ。奇抜でも無いし平凡でも無い。そういう名前が1番いいのよ」
「そういうもんですか」
「そうよ。貴方本名知ってる? 聞いたことある?」
「誰のですか?」
「だから先生のよ」
「さあー。本名があるんですか?」
「貴方ちょっと熱があるの? 本名の無い人はいないでしょ?」
「あ、それはそうですね」
「倉田竜馬って言うのよ」
「倉田竜馬ですか」
「そう。土佐の生まれでも無いのに」
祐司はこの女性が倉田のことを先生と呼んでいるのだと、此処で初めて気が付いた。するとこの桃子という女性と倉田はどういう関係なのだろうという興味が湧いてきた。少なくとも彼女は倉田の本名を知っている。人から聞いたと言っていたから、この事務所のことは倉田本人から聞いたのでは無いらしい。
「そう言えば先生は花を買ってきたことがありますよ」
「え? 嘘でしょ。ろくに花の名前知らないような人が、花なんか買ったりするもんですか。どうせどっかの女に貰ったかなんかでしょ」
すると花の名前を7つしか言えなかったというのは、どうも倉田のことらしい。するとこの女は倉田のことを『うちの人』と呼んでいたことになるし、うちの人と呼ぶということは、一緒に住んでいるということになる。あの面倒くさがりやの老人がいつも身綺麗にしているからには誰か世話する人がいるに違いないとは思っていたし、それは当然女だろうと思っていた。これがその人なのかあと思ってまじまじと見ていたら
「私の顔に何か付いてる?」
と言われてしまった。
「あ、いえ何も付いてません」
「何そんな感心したように見ているの?」
「いや、美しい方だなあと思いまして」
「貴方ちょっと、いや大分変わっているわね。本当にそう思っていたとしてもそんなこと真面目な顔して言う人いないわよ。子供じゃあるまいし」
「はあ。失礼しました」
「厭だ、ちっとも失礼じゃないんですけどね。だけど感心したようにそんなこと言われる程美しい方じゃ無いことは自分が一番良く知ってるから、くすぐったいわ」
「はあ。で、今日は先生と此処でお待ち合わせですか?」
「だから偵察に来たって言ったでしょ? 別に待ち合わせじゃないの」
「はあ。こちらから連絡することは出来ないんで、お待ち頂くのはいくら待って頂いてもいいんですが、来ないことも多いもんですから」
「ああ。別にいいのよ。ちょっと事務所と貴方を見に来ただけだから」
「ああそうですか」
「まあ、先生の周りに群がっている連中の中では随分まともな方なんで、少しは安心したわ」