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マリア
【その他 官能小説】

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マリア-15

 「先生はまだ来てませんか?」
 「はあ。あの、どちら様でしょうか」
 「ああ、私桃子です」

 今まで倉田のことを先生と呼んだ人はいないし、祐司自身が弁護士をしていた時には先生と呼ばれていたから、この桃子という女性は誰か祐司の過去を知る人から頼まれて祐司を捜しているのかと思った。
 祐司が使い込んだ金は、祐司が破産管財人として管理していた破産会社の金を銀行から下ろして使ったのだった。破産管財人というのは裁判所が適当と思う人を選んで管財人就任の打診をする。大会社が破産した場合には財界人を選ぶ場合も希にはあるが、大体弁護士の中から悪い評判の無い人を選ぶのが普通である。打診を受けた弁護士が内諾すると、裁判所は破産宣告期日を決めて破産申請人や管財人に内定している弁護士など関係者を呼びだし、そこで破産決定と管財人選任の決定をする。
 管財人は自分が選んだ適当な銀行に破産財団の預金口座を開設し、破産会社の財産を処分して現金化する都度その口座に入れていく。銀行としてはこれも1つの預金であるし、大型の破産の場合には一時的とは言え多額の預金が期待出来る。一時的と言っても大型の破産の場合は、早くても終結するまで数年はかかる。つまり殆ど利息の付かない普通口座に、数年間多額の預金を寝かせておくという、銀行にとっては、うま味のある話なのである。
 この預金を管財人が下ろす場合は、本来なら裁判所の許可が必要である。しかし破産会社の処理には頻繁に金を必要とする事態が生じるし、銀行もまさか弁護士たる破産管財人が金を使い込んでいるとは思わない。そもそも管財人たる弁護士は自分で都合のいい銀行を選んで口座を開設する訳で、銀行の外務員と個人的な伝があってそこを選ぶというのが普通である。したがって預金するのも引き出すのも、その銀行員に電話するだけで、用が足りる。必要な用紙と金を銀行員が運んできて、預金したり引き出したり出来る。
 その管財人から下ろすと言われれば裁判所の許可書を用意して下さいとは言いにくい。いちいち許可書を要求したりしているとそんな面倒な銀行は使わないと言われてしまうからである。第一、裁判所の許可は事後に取る場合だって少なくないのである。だから許可書無しに払い戻しに応じたからと言って銀行が違法行為に荷担したとは必ずしも言えないのだが、祐司の使い込みが露見した時には結局銀行が責任を取って、祐司が使い込んだ金の全額を預金口座に補填した。銀行としては面白くない話であるが、裁判所に逆らえば以後その銀行は管財人口座の開設場所としては不適当とされてしまう。
 その不利益は計り知れないから、結局銀行は裁判所に押し切られて泣く泣く責任を取るしかなかったのである。それから既に5年以上経過しているから、祐司の銀行に対する損害賠償債務は既に消滅時効期間を過ぎている。消滅時効など持ち出さなくとも銀行はこうした場合、相手が実刑判決を受けた時点で損金処理してしまうから、祐司は銀行から支払い請求すら受けたことも無しに現在に至っている。だから誰か祐司の過去を知る人が現れても祐司としては恥ずかしいということはあっても、現実的に困るということは無いのである。サラ金から借りまくって逃げている人などとは全然立場が違う。しかし誰か分からない人が自分を捜しているというのはちょっと薄気味悪い話なので、この桃子という女性の出現は、祐司にとってちょっとした事件であると言えた。

 「まあ、お掛け下さい」
 「いい事務所ですねえ」
 「有り難うございます」
 「でもやっぱりちょっと殺風景だわね」
 「はあ、そうですか」
 「女の事務員がいれば大分違うと思うんだけど、先生は女たらしだから」
 「はあ」
 「ええもう、女にはだらしが無くて」
 「はあ」
 「男なんて駄目ね。女の何処がそんなにいいのかしら」
 「でも貴方も女の方だと思いますけど」
 「え? 厭あね。 女に決まってるでしょ」
 「はあ。で、先生にどんなご用件なんでしょうか」
 「別に用という程のことは無いの。人から事務所を開いたらしいって聞いたもんだから偵察に来たのよ」
 「誰から聞いたんですか?」
 「あそこの窓際に小さい台でも置いて花を飾るといいんじゃ無いかしら」
 「花ですか」
 「あなた花は嫌い?」
 「別に嫌いじゃありません。特に好きでも無いけど」


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