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黎明学園の吟遊詩人
【ファンタジー その他小説】

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三浦涼子の灼熱のラプソディ──吟遊詩人と断罪の槌-2


 詩音は帽子でまなざしを隠したまま、樽から足を降ろした。
「さあ、どうだかね。僕だって全ての『影』を歩いた訳じゃない。それより、その鍵盤で叩いている物はあまり長持ちはしない。僕の『念葉』と同じ臭いがするよ、ぷんぷんとね。それは『フィヨルド』にだけ変種となったとある植物の種だ。違うかい?」
 涼子の表情が邪悪な笑みにすり替えられた。「夜叉」というものがあるとするなら、この女がそれだと詩音は確信する。
「ただの風来坊だと思っていたのだがね。私の目はまだまだ甘いようだ。一層研鑽を積まなくてはならない。まず、邪魔な物は消すこと。それから始めようか」
 詩音は帽子を後にずらして顔をあげた。漆黒の左目と暗灰色の後ろ髪を一つに束ね、幼女のような白く滑らかな肌と桜色の口唇を露わにする。僅かに覗いた歯は真珠のように光り輝いた。涼子は思わず口笛を吹く。
「女の子の格好をさせれば、誰でも騙せそうだね。私は割とそういうショタは好みなんだがね。側室に迎えてやるがどうだ? おまけに『影』を操る達人と来れば言うことはない。我が軍門に下らんか? 可愛がってやるぞ」
「答えの解っている質問をするのは不埒というものだよ、『皇姫』。ましてやする事も決まっている場合は愚昧と言われても文句はないよね?」
 涼子は残念そうに笑い、そして白銀の「スタッカート」を構えた。
「チャイコフスキー、ピアノコンチェルト第一番」
 吹き出した音弾は大規模な両手のオクターブ奏法。段幕と言うよりは爆撃。詩音が一瞬で蒸発した。手を止めた涼子に涼やかな笑顔が宿るその時、涼子の右肩に手がかけられ、そのまま引き倒された。涼子が見上げたそこには塵一つ付いていない詩音の美しい顔が褐色に輝く空をバックに見下ろしていた。詩音はその右の掌を涼子の首に当てる。それだけで動けないことに涼子は驚愕する。
「世の中で一番下らない事は、勝てない喧嘩に挑むことだよ」
「く………そう簡単に行かないのが世の常ってものなのよ?」
 涼子は倒れたまま、鍵盤を連打した。一面に雨が降り注ぐように空から降り下りた音弾は詩音の背中を裂く。今度は詩音の動きが止まった。マントの背中がみるみる血に染まる。
 反転し、素早く起き上がった涼子が勝ち誇って笑う。
「そうすると思った! 私を傷つけられないあなたのその反吐が出るような『優しさ』ってやつが私が一番嫌う戯言の一つなのよ。今のショパンの「雨だれ」は、避ければ私に当たる。あなたの甘い瞬時の判断があなたの命取りになった!」
 詩音はゆっくりと身体を起こした。桜色の口唇から一筋の血が流れている。その口唇がすっと大気を吸い込む音が聞こえた。

  永久に祝福されよその黒い薔薇を
  失われた鉛に気付くこともなく
  時計の秒針に支配されたオルゴール
  春に膨らむ蕾に祝福を
  冬に枯れる全ての希望に涙を

 涼子はその韻律に本能的な恐怖を抱いた、その時。棘の鋭い巨大な茨が涼子の背後から襲いかかる。振り向きざまに鍵盤を連打した。バッハのインベンション。目の前の茨の攻撃は躱したが、右足首を切り裂かれた。
 その苦痛に一瞬止まったタイミングを計ったように涼子の耳元で囁く声が聞こえた。

  黒いインピーダンスと壊れた祭壇
  捧げられる物は自分の鼓動
  電解コンデンサと羽根ペンの十字架
  捧げられる物は自分の呼吸
  終わりは始まりの序曲としてその首を飾る

「きゃあああああああああ!!『ピチカート』!『アンダンテ』!『アレグロ』!全弾発射!」
 詩音と涼子を囲う三方向の砂の中から「スタッカート」を構えた全36人からなる群青に銀線の入った兵士達が砂に偽装した布を持ち上げて、人間業とは思えない高速な指捌きで鍵盤を連打した。
 集中爆撃のような轟音と粉砕された岩と瓦礫が舞い上がる。もはや音や爆風などに例えられる規模を超えた、認識不可能な混沌が空間を満たした。詩音と涼子を三方向からの同時無差別攻撃を巨大な水の壁が遮って飛沫となって周囲の混乱をまるごと飲み込むが、兵士達の表情は変わらない。
「……最初からバレバレなんだよ。それに、『スタッカート』の攻撃は音の伝わりにくい雲やとりわけ水に弱いのはもう実証済みだったからね」


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