フィヨルドの夜の祭り──逃走と戦闘とその清掃-2
早くもダイブを始める奴が居る。この街ではよほどロックに飢えているのだろう。熱狂と興奮、そしてスリルと暴力。「グレート・フール・レイルウェイ」の演奏はまさにその象徴だと言えるかも知れない。半裸のシェイプアップした身体をうねらせ、真鍮色の長髪と髭を振り回している姿は人間の本能を揺り動かす。由子だけはあくびを堪えているが。
「グレート・フール・レイルウェイ」はその後、数曲演奏し、もの凄く引っ張ったエンディングと同時にステージの照明が落ちた。会場が揺れるような拍手と歓声がツバキ・ファミリアを満たす。この間に沓水が支払ったのは法律事務所の家賃半年分だった。詩音が右手で銅貨を作るたびに、マントのポケットから出したノートにサインをさせる。
「……後で『忘れた』なんて言い出すからな。念のため拇印ももお願いしておくよ」詩音は朱肉を出して沓水に差し出す。ご機嫌になった沓水は迷いもせず盲印をノートに押しつけた。
「がはははは、今日は最高の夜だぜいっ! もっともっとぶっ飛ばせ!」
「……沓水がロックが好きだったなんて意外」
「違うな。酒が好きなだけだよ。それにお祭りとお仲間が居るからね」
由子が回りを見回すと、かなりの人数が沓水と同じように杯を重ねている。
「…そんな客はお断りね、私的には」
「ま、由子のやっているプログレッシブ・ロックは酒よりはアシッドとかグラスだね」
「ば、馬鹿にしないでよ! 私たちのロックは音だけで酔えるんだから!」
「そりゃ安上がりで結構」
「ちょっと待って、それどころじゃないみたい。詩音、沓水、前に詰めるわよ」
「詰めるってたって、すでに人間のバームクーヘンになっているんだけど」
「もう! 裏技よ。PAの線を辿って潜り込むのよ。シールドは箱で守られているわ。トンネルをくぐる要領で行くわよ!」
「やれやれ、この酔っ払いを引きずるのは僕の役目と言うわけかい」
詩音は先導する由子の後に付いて観客の僅かな隙間であるPAラインをくぐる。幸運なことに沓水は特に抵抗もせず千鳥足で付いてきた。
まるで海中から浮上するようにぽっかりとステージ前に三人の頭が浮かぶ。ステージの暗がりでは明らかに三人の気配を感じた。音一つ立てないスマートなセッティングだ。ステージの右袖にスポットが当たり、ビリー・シアーズが浮かび上がる。
「さて、お待ちかね。我がフィヨルドでぶっちぎりのテクニックを誇る三人を紹介しよう。って、解っているよね。『モスキート』だ。カモン!」
叩きつけるようなガッツのあるノンエフェクター・ギターのファットサウンドに、重低音と突き抜けるスネアドラムが天空まで届くように響き渡る。そして、大潮のうねりもかくやと思われるブーストしまくったベースが波のボトムから砕ける波頭まで、心をかき乱すように美しい輝きを持ってツバキ・ファミリアを振動させる。まるで世界をまるごと露出させたようなサウンド。由子の瞳が蕩けるようにぼやけ、祈るように両手を組み合わせる。
確かに、ロックは門外漢の詩音でも、音の「凄み」が理解出来た。
「あのベースの男──黒いベストを着て灰色の長髪の奴──あいつを拉致っちゃうわけ?」
「人聞きの悪いこと言わないでよ! スカウトするのよスカウト!」
「本人の確認無しにだろ? それってただの誘拐じゃないか」