投稿小説が全て無料で読める書けるPiPi's World

黎明学園の吟遊詩人
【ファンタジー その他小説】

黎明学園の吟遊詩人の最初へ 黎明学園の吟遊詩人 32 黎明学園の吟遊詩人 34 黎明学園の吟遊詩人の最後へ

フィヨルドの夜の祭り──逃走と戦闘とその清掃-1


 ツバキ・ファミリアは倉庫用に不要なテーブルや椅子は全て撤去されていた。それでもステージの部分はしっかりした木材が組まれて一段高くなっており、由子から見るとかなり時代遅れの機材が並んでいる。PAもお粗末で「ボーカル・アンプ」と呼んだ方が適切だ。
 サクラ・ファミリアと違って、ツバキ・ファミリアは一階にあった。サクラ・ファミリアがまだ店舗としての体裁が保たれていたのは、エレベーターもない地下では使い道が限られているため、買い手が付かなかったのだろう。
 客はほぼ満員で、サクラ・ファミリアの時と集まっている客層は変わらない。殆どの客はリノリウムの床に腰を下ろしている。例によって、各種の酒が揃えられていた。ワン・ドリンクサービスは同じシステムのようで、沓水はいの一番にウォッカともジンとも解らない透明な強い酒を飲み始めている。
「飲み過ぎちゃ駄目だよ、沓水。あんた素面でも絡み酒喰らっているようなもんなんだから、どう考えても酒癖悪そうだし」
 由子が注意を促すが、沓水はコップ一杯の酒を殆ど一気に飲み干した。
「お、あれ? もう一杯だ。詩音! 金寄こせ」
「やだね。まだ始まっても居ないのに酔っ払われても迷惑だし」
「俺、『鉄の肝臓』って呼ばれてるんだよ? 普通の人のビール一本が俺にとってはラム酒ボトル一本なの。俺の場合。一杯で足りる訳がねえじゃねえか」
「沓水、酒は自分の金で買う物だよ」
「買えるんなら買うよ! ここの通貨を持ってないからお前ぇに頼んでんじゃねえか、察しろよ。さっさとその『右手』を出せ!」
「沓水法律事務所の一ヶ月分の家賃と一杯分が等価っていうのなら」
「暴利だろ! どう考えても!」
「やめてよ、始まりそうだわ」由子の目つきが鋭くなる。
 出来るのなら、レインの出番の前に捕まえたかったのだが、何処を探しても「楽屋」が見つからなかった。他の階か、別の建物なのかも知れない。
 会場が次第に静まりかえり、観客の瞳が期待に光を帯びて来る。
 そして、右手からタキシードとシルクハットを被った男が出てきた途端、爆発的な拍手がわき起こる。「ビリー!」「ビリー・シアーズ!」「ハイホー! ビリー!」観客の嬌声が響き渡る。当の本人が両手を挙げ、静かに下ろすのに合わせて、ツバキ・ファミリアは徐々に静まり返る。ビリー・シアーズは、シルクハットを深く被り、眼は影になって見えない。
「ようこそビリー・シアーズ・ショーへ。諸君、サクラ・ファミリアは大変な事になったが、それでも君達は懲りないようだ。それはつまり、このフィヨルド最悪の冗談という事なのだが、まあ、それも含めてのビリー・シアーズ・ショーだ。保証はしないからそのつもりで」
 観客が大きくどよめく。飛び上がって拳を振り回す者、絶叫する大男。全てがスタンディング・オベーションで割れんばかりの拍手をする。再びビリー・シアーズが手を上げ、観客を鎮める。まるで指揮者のようだな、と詩音は思う。
「それでは始めよう。毎度のことで恐縮だが、この街にはもうあまりロックバンドが生き残っていないのでね。改めて紹介させて貰おう。グレート・フール・レイルウェイ!」
 いきなりの大爆音。セミ・ソリッドのギターをかき鳴らし、圧倒的な声量で観客を吹き飛ばし、ベースは心臓の鼓動のように正確だ。
「まあ、前にも聴いたけど、典型的なアメリカン・ハードロックね」
「勢いがあっていいと思うけど」
「ぎゃはははは! 騒げ騒げぶっ壊せ!」
 ぶっ壊れているのは沓水本人だと詩音は心の底から思う。


黎明学園の吟遊詩人の最初へ 黎明学園の吟遊詩人 32 黎明学園の吟遊詩人 34 黎明学園の吟遊詩人の最後へ

名前変換フォーム

変換前の名前変換後の名前