パープル・ヘイズ──白石由子とレインの遭遇-3
「チケットは〜、友達が持ってたんだけど、その子今日親に捕まっちゃって」でまかせは伊集院をしょっちゅう見ているから学習した。
「じゃあ、現金だな。600ガデス」ガリーと呼ばれた男が言う。
「おいおい、ガリー。チケットは買ったって言ってるんだ。見逃してやれよ。せっかくの女の子なんだし」
「いくらレインのつてでもそれは無理だな。俺のギャラも出ない。サクラ・ファミリアの管財人だって危ねえ橋を渡ってるんだ」
「パープル・ヘイズ」は初めての体験ではない。由子は身体を屈めると、足の中指に嵌った指輪を一つ抜き出した。
「これでどう?」金色に光る指輪。
どこの世界でも、何故か黄金は共通通貨として通用する。だから「パープル・ヘイズ」のために準備は怠っていない。なにより私はお金だけはいくらでもパパに貰えるのだ。まあ、詩音のいつでもその『影』の通貨を作り出せる右手の方が便利だけど。
ガリーはその指輪を瓦斯灯にかざし、何度もその細工を見て、犬歯で噛み、再び光にかざす。
「間違いねえ、こりゃ混じりっけ無しの純金だ……釣りが用意できないぞ、どうするんだよ」
「いらない、そんな物。残りはカンパと言うことでお願い。それより、それはティファニーのだから、傷を付けると値打ちが下がるわよ」
ガリーはハッとしたように指輪を見つめ直し、由子と指輪を見比べながら指輪をそっとポケットにしまい込んだ。
「まあいいか。仲間達と朝までには使い切っちまうからな」そう言うと、一本のマッチを擦って高く掲げる。
すると、路地の両角から同じようなマッチの火が灯る。路地の奥から、そしてビルの上から。かなりセキュリティが高そうだ。
「オーライ、入れよ」
ガリーは扉を開けた。打ち付けた板はみんなダミーだった。扉は塞いだような板が打ち付けられていた偽装だった。
「お前ももうすぐ出番だろ、俺もその時には見に行くからな」
レインと呼ばれたモノトーンの男が微笑む。
「腰抜かすなよ、男は助けないからな」
「抜かせ、この野郎」
ビルの中に入ると、やはり暗闇だ。僅かな電球が仄かに通路を照らしている。
(別に電気がないってわけじゃあないのよね。なら、なんで瓦斯灯とか不便な物を使うのかしら)
辛うじて足を踏み外すに済む階段を下りると、やがて再び重苦しい両開きの映画館のような両開きの扉が目の前にあった。
「じゃ、俺、楽屋に行くから。そのまま入って」
レインは由子の背中を軽く押し、左手の暗闇に入っていった。
目の前の扉を前に、由子は少し躊躇する。
「いいか、ま、『パープル・ヘイズ』がまた発動すれば勝手に帰れるんだし」扉をやや力を込めて開けると、さらにもう一つ扉が立ちふさがっていた。ただ、違うのは──圧倒的な音量が漏れ出ている事だ。
「ロックじゃないぃぃぃ!」
今度は元気いっぱいに扉を押し開けた。そこには、爆音。
稚拙だけど勢いのあるロックが演奏されていた。不思議だ。この世界にG・F・Rは存在しないはずなのに、ボーカルの男は体格の良い裸体を晒してギターをかき鳴らし、叫ぶように歌う。こってりしたチョコレートケーキのようなねっとりとした音だ。
観客は熱気に包まれ、熱狂している。ヘッドバンキングするやつ、ダイブする男、ビールをラッパ飲みする男。女性は見たところ殆ど居ないのが不自然だが、その分、男性的なパワーに満たされている。
壁際のカウンターのそばの椅子に近づくと、男達が進んで自分から席を譲ってくれた。結構フェミニンな世界なのかも知れない。ボトルとグラスを金属のトレイに乗せたスキンヘッドの髭面が由子の傍らに立ち、仕草で何を飲むのかを聞いてくる。由子はビールらしき物を指さすと、グラスに器用にビールを注いで由子に渡した。
ほろ苦く、濃い。これもやっぱり英国風のスタウトに近い。
いきなり大きな歓声が沸き上がり、今のバンドが手を振っている。終わったのだろう。半裸のギター&ボーカルが満面の笑みを浮かべていた。ライブの幕間独特のリラックスした空気に会場が満たされた。
「悪くないけど、取り立ててどうかと言われるとねえ」由子はビールを口に含み飲み込んでから呟いた。
由子を発見した男達が、大げさな仕草をする。由子は何度も海外旅行をしているので、こう言った場面は慣れていた。微笑み、穏やかな拒絶、手を振る。この繰り返し。
次のバンドの用意が始まったようだ。ステージの明かりは落とされていて見えない。が、無駄な音が聞こえないし、チューニングの音さえしなかった。
と言うことは、かなり出来るバンドなのだろうと由子はあたりをつける。下手なバンドほど下らない音を出す物だ。そして、観客が徐々に静まり返る。この緊張感は、なにか凄いことが起きる予感だ。
見ると、入り口にいた「ガリー」という男が見える。と言うことはひょっとして助けてくれたあのモノトーンのイケメンが出るのだろうか?