僕は14角形-27
ワインとグラスが運ばれてきた。大きめのやつで、香りを含むのに適している。ボーイがコルクナイフで鮮やかにコルクを抜き、基本通り三分の一ずつグラスを満たした。
僕は彼の視線を痛いほど感じながら、グラスの絵の部分を小指をたてて持ち、少しスパイシーなフルボディを味わう。心なしか、妙に落ち着いた。
「乾杯はしなかったね」彼もワインを味わいながらそう訊いてきた。
「お祝いすることが何もないもの」
「僕にとっては思いっきりあるんだけどなあ」
彼は肘を立てた片手に精悍な顎を乗せて、楽しそうに僕を見つめた。僕もお愛想で微笑み返す。しっかし、僕も役者だなあ。
料理はかなり美味しかった。出来るだけ気をつけたつもりだけど、どうしてもどこか乱暴になってしまう。だから最後にはことさらお淑やかにナプキンで口を拭った。レストランで良かった。僕は「ハンカチ」という物を持ってこなかったのだ。
店を出る頃には、とっぷりと日が暮れて、五月の風がワンピースを揺らした。意識して内股に歩き、道路に出たとき、彼は切り出した。
「携帯の番号、交換してくれないかな?」
僕はちょっと考えたけど、連絡を切断することなど容易いことに気づき、iPhone6をバッグから取り出す。
「へえ、女の子なのに変わったのを使って居るんだね」
「これはね、『電話もかけられる』コンピュータ。ちゃらちゃらしたの、嫌いだし」
さっと番号とアドレスを交換すると、彼を見た。逆行になっているから、さぞかし僕の姿は鮮明に見えただろう。自分でも見惚れるほどの姿を。
「送って行こうか?」
「おかまいなく」僕はそっけなく言い捨てたが、ちょっぴり心が疼く。
「たまになら、付き合ってあげてもいいよ」ちょっと本音な悪戯心。なんていけない僕。
彼は軽く跳び上がってガッツポーズをした。またね、郁夫。
あの艦体の詳細は不明だが、充分に魅力的なSSNだ。
「なあに考えているのよ……」
まだ疲労を色濃く残した綿星はラブチェアーに横になって呟いた。
僕は淡いピンクのバスロープを纏って、事の顛末を話し終えたところだ。
「僕が幸せになっちゃいけない訳でもあるのかよ」
「そりゃ、偽物の恋だってば。というか、詐欺じゃない」
「素敵な人だったなあ……」僕はテーブルに俯せる。
綿星からクッションが飛んできた。「余韻に浸るなあ!」
「体操をやっていただけあって、むらなく綺麗な筋肉がついていて、あれに力強く抱きしめられたら、僕、溶けちゃうな、アイスクリームみたいに。それから、ドキドキしちゃうぐらい、あんな事やこんな事も」
今度は小さな黒猫のぬいぐるみが僕の後頭部を叩いた。
「とにかく一晩よく寝て、頭を冷やしなさいな」
「…そうする」
ワインの酔いが今頃になって緩やかにやってきた。その日僕は珍しく薬なしで眠りに落ちた。まずめったに無いことなのに。
その夜見た夢は、とても人には話せない猥雑極まる犯罪的なほど倒錯した極楽の夢となって僕を魅了した。朝になって、身体から排泄された快楽のエッセンスを前に、さすがに自己嫌悪する。
恋に国境なんてあるものか。