妙子2-34
「そんなことをするといいことがあるんだな、やっぱり」
「何が? どんないいことがあったの?」
「あそこを見ろ」
「久美ちゃん?」
「ああ。その隣に座ってる男だ」
「あの人なら久美ちゃんのお客さんで、良く来てるよ」
「あれはな、ヤクザだ」
「え? どっかの重役みたいに見えるけど」
「一見してヤクザに見えたら、それはチンピラだ。俺だってヤクザには見えないだろう」
「うん。見えない」
「あいつは此処らでは有名なヤクザなんだ」
「ふーん。そう言えばあの人顔に凄い傷があるね。でも、いいことって何?」
「話の筋書きが何となくボンヤリ見えてきたんだよ」
「話の筋書きって?」
「この間から何度か襲われてるだろ」
「うん」
「俺にフラレた久美が腹いせにそんなことやってるのかと思ったけど、どうやら違うような気がしてきた」
「あの男がやってるって言うの?」
「ああ。久美に頼まれたのか自分から買って出たのか分からないが、あいつが関係していることは多分間違いないだろう」
「何で?」
「あいつとは深い因縁があるんだ」
「因縁って?」
「3回喧嘩をしたことがある」
「3回も?」
「ああ。古い付き合いなんだ。最初は俺がまだ若い頃だから随分昔の話だ。すれ違う時にちょっと肩が触れたら絡んで来やがった。俺もあいつもまだヤクザになりたての頃なんだ。だが、あいつはもう喧嘩哲という仇名で売り出してた。喧嘩の強いのが自慢で、何かと言うと相手が素人だろうが、ヤクザだろうが、喧嘩を吹っかけてたんだ」
「それで喧嘩になったの?」
「ああ。当時は俺はまだ無名の若造だったからヤクザだとは思わなかったんだろう。それがビビリもせずに言い返したから、あいつはカッとなってな」
「何て言ったの?」
「土下座して謝れと言うから、往来で肩が触れたくらいで一々土下座なんか出来るかと言ったんだ」
「そしたら?」
「いきなり殴って来た」
「乱暴ねえ」
「しかしこっちのことを素人だと思っているし、あいつは巨漢、俺はチビという程でもないけど小柄だろ? だから少し加減して平手で頬をビンタしようとしたんだ」
「よけたの?」
「いや」
「ビンタされたの?」
「いや。俺は持ってた本でビンタして来る奴の手を逆にビンタしてやった」
「本なんか持ってたの?」
「社長からこれ読んで勉強しとけっていうんで会社の法律に関する分厚い本を借りてきてたんだ」
「それでどうしたの?」
「本で叩いたってどうってことはないけど、バシーンって凄い音がした。だから奴は余計カッとなってな、今度は拳で殴ろうとした。それをかいくぐって俺は本の角の1番固い所で奴の口を殴ってやったんだ」
「まあ」
「それで奴の前歯が4〜5本折れて飛んでった」
「あらあ」
「口から血を流してるのに奴はひるみもしないで組み付いて来やがった」
「組み伏せられちゃったの?」
「そうなったらお終いだ。体の大きさが違うからな。それで体をねじって振り切ると奴の後ろに廻ってドンと押した」
「押し出し?」
「馬鹿。喧嘩に土俵はないから押し出しも無いんだ。だからそのまま商店のウインドーのガラスに突っ込んで行った」
「まあ、乱暴」
「当たり前だ。喧嘩なんだから」
「そしたらガラスは目茶目茶に割れたでしょ」
「いや。ド偉い分厚いガラスで、ヒビも入らなかった」
「そんなに丈夫なガラスだったの?」
「ああ。その代わり奴の顔にヒビが入って、奴の顔は血ダルマになった」
「まっ」