『FOR BELOVED DEAR』-1
放課後、第二校舎の空き教室。ほとんど誰も来ない私だけの場所。そこでギター片手に一人で歌うのが私の日課。別に人を拒絶してるわけじゃない。でも今の環境に関心はない。だから私は一人で歌っていた。あの日もそうだった。そんなときだ。彼が現れたのは…。
「んー、綺麗な歌声がすると思ったら、ここかぁ。」
私は歌うのをやめる。それは突然の来訪者。見たところ生徒ではない。が、こんな教師はいなかったはずだ。
「…誰?」
私は問いかける。
「あ、えっと、今度からこの学校に来ることになった美術担当の笹塚大輔です。と言っても非常勤だけどね。君は?」
そう男は言う。人なつっこそうな笑顔を浮かべて。
「…1年3組、笠見莉緒です。」
別にそんなことどうでもいい。私は黙りこむ。しかし男は出ていこうとしない。
「…何か?」
「いや、良ければ歌、聴かせてほしいんだけど。」
私はしばらく考える。…まだ歌い足りない。私は再び歌いだした。
その人は黙って聴いている。数曲歌ったところで聞いてきた。
「…なんだか悲しい歌だね。どれも聴いたことない曲だけど…誰のかな?」
誰の曲でもない。
「…私の曲です。」
「私のって…自分で作詞も作曲もしたの!?すごいなぁ。」
彼は目をまるくしている。
「すごくうまいよ。綺麗な歌声だし。僕は美術専攻だから音楽は詳しくないけど。部活とかには入らないの?」
「これは私の自己満足だから。」
そう、誰に聴かせるでもない。ただ私が歌って満足できればそれでいい。
「そっかぁ…。それじゃあさ、今度から聴きに来てもいいかな?自己満足とはいえ、観客無しじゃあ寂しいだろう?」
別に、どっちだってよかった。
「お好きなように。」
ただそのときの私はそう答えていた。
月曜と金曜、笹塚先生は必ず現れた。彼はいつも黙って私の歌を聴いていく。聴いてもらえる心地よさに気付いて、次第に私は月曜と金曜以外歌わなくなった。そんなある日…
「笠見、たまには美術室で歌ってみない?」
突然の申し出。
「どうしてですか?」
私は聞き返す。
「笠見が歌ってるとこ、描きたいんだ。座って歌ってるだけでいいからさ。どう?」
座って歌ってるだけなら、どこでも構わない。
「…いいですよ。」
私は歌い、彼は描く。ただそれだけの世界。聴こえるのはギターの音色と私の声とデッサンの音だけ。不思議な、心地よい世界。私は歌うのをやめて口を開いた。
「先生…。」
「ん〜?」
「前に、私が歌うのは自己満足だって言いましたよね?」
「言ってたなぁ。」
彼は顔をあげない。
「最近、ただ歌ってるだけじゃ、満足できなくなりました。」
彼は筆を止め、ようやく顔をあげた。
「本当は、歌手になりたかった。…でも父は『歌手なんかじゃ食っていけない。いい大学にいっていい会社に入って、立派な男と結婚したほうが幸せだ。』って。あきらめてたつもりだったけど…先生、幸せってなんですか?」
それは私の心の叫び。彼なら聞いてくれる。そんな確信めいたものがあった。
「なるほど。笠見が周りに無関心なのはそのせいか。…幸せって、その人によって違うと思う。僕にとっては、こうして絵を描くことが幸せだ。笠見が幸せだと思う生き方、歌手になることがそうなら、なんと言われようと夢追いかけろ。そうしないと絶対後悔する。」
私の背中を優しく押す言葉。たった一言なのに、周りは誰も言ってくれなかった言葉。
「ただし、周りに無関心なのはいただけないけどな。」
「…うん。夢、追っかけてみる。」
私は夢を追い出した。