憧憬と懐愁-1
ジャージの裾を膝の上まで捲り上げた。
シャワーの温度が安定するのを待って、優里菜ちゃんに話しかけた。
「足の先からね。熱かったら言ってね。」
「うん。」
シャァー。
「うっ…。」
優里菜ちゃんが体をビクっとさせた。
「ごめん、熱い?」
「え?あ、違うの。そのシャワー、いつもくすぐったくて。」
「ああ、そうか。」
オヤジはシャワーにまでこだわった。非常に細かい、ほとんど霧のような水滴が力強く吹き付けるタイプだ。僕も最初はめんくらったが、今ではこれが当たり前になってしまった。優里菜ちゃんはたまにしかこのシャワーを使わないから、まだ慣れないようだ。
「じゃ、改めまして。行くよー、うひひ。」
「ちょ、鷹志さん、なんか怖いよー。」
身をよじらせ、両手を胸の前で広げて防御姿勢をとっている優里菜ちゃんは、花のような笑顔を広げている。
「それっ!」
「ひゃぁー!」
一般的な家庭用よりだいぶ広い浴室の壁に、優里菜ちゃんの声が反響して短い余韻を残した。
足の先から脛、ふくらはぎ、と辿って太腿にシャワーを掛けた。まるでコーティングされているかのように、皮膚の表面を水玉が弾けて零れ落ちていく。肌が若いのだ。
優里菜ちゃんはムズムズしたような表情を浮かべている。
「お尻上げて。」
右の手すりを掴ませ、体を左に傾けて上げた右のお尻にシャワーを注ぎ込んだ。
「うふぅう…。」
とてもくすぐったそうだ。
「はんたーい。」
左のお尻も同様に。
「真ん中ー。」
介助用入浴椅子の座面は特殊な形状をしている。U字型便座を荒いメッシュ素材にしたような感じで、お尻の下には何もない。自力で立ち上がることの出来ない下肢障害者の股間を無理なく洗う為の合理的なデザインだ。
「それ。」
両足の間にシャワーヘッドを差し込み、クルリと上を向けた。強めのミストシャワーが、股間を直撃だ。
「…。」
一番騒ぐと思ったのに、無言で俯いている。強く当て過ぎたのか?
「はーい、今度は上からね。首。」
シャー。
「あぁ…生き返るぅ。」
優里菜ちゃんは目を閉じてうっとりしている。
「死んでないから。優里菜ちゃん、まだ死んでないから。」
水滴は超細かいが、お湯の量は十分に有る。温もりに包み込まれているはずだ。
「腕出して。」
「はーい。」
僕の手の動きに合わせ、優里菜ちゃんは上手に腕を動かして湯を浴びていく。
「胸いくよ。」
なだらかな膨らみと小さく硬い先端に当たった水玉が、少し跳ね返りながらサラサラと流れ落ちていく。
「…。」
優里菜ちゃんはまた俯いて無言になった。
「背中ねー。」
「はーい。」
後ろに回り込んで長い黒髪を持ち上げ、肩から背中にかけてシャワーしてあげた。
「さてっと。シャンプー、するよね?」
優里菜ちゃんの顔がパアっと明るくなった。
「うん、して!」
「よーし。」
リクライニングを少し倒した。優里菜ちゃんは背もたれにしっかりと背中を預け、顎を上げて目をつぶった。
「長いからなあ、大変だぞ、これ。」
優里菜ちゃんの頬に笑みが広がった。
髪に手串を入れて洗いやすいように捌いた。サラリ、サラリと指の間を滑り、どこにも引っかからないし、枝毛一つなく艶々と輝いている。見事な髪だ。たまに白いものが混ざり、指に絡み付く僕の髪とはずいぶん違う。
顔の方にお湯が流れていかないように慎重にシャワーを掛けていく。おでこから頭頂へ、という動きを何度か繰り返し、徐々に毛先の方へと下りていった。
「シャンプー付けまーす。」
「シャンプー付けられまーす。」
優里菜ちゃんの朗らかな声が浴室内に短く響く。
「いい匂い…。」
母のお気に入りだ。姉さんにはけして使わせない。ましてや僕には。
「ここに来ると、このシャンプーしてもらえるのが楽しみなの。」
「お母さんのもいいやつだろ?」
「うーん、キライじゃないんだけど。こっちのがいい。」
「そうか。これ、おばあちゃんのとっておきだからねえ。」
「え、そんなの使っていいの?」
「さあ、どうかなあ。」
「怒られない?」
「どうかなあ。」
目をつぶったままで眉根を寄せ、本気で不安そうな顔になった。
「ごめん、大丈夫だよ。優里菜ちゃんが使うならおばあちゃん、むしろ喜ぶと思うよ。」
優里菜ちゃんの顔に、花が咲くように笑顔が広がった。
「痒いところはございませんかぁー?」
「あははっ!」
「痒いところがあったらー、」
「あったらー?」
「ガマンして下さーい。」
「ぷっ。ガマンして下さられなーい。」
ふう…。だいぶ時間がかかったが、なんとか毛先まで洗い切った。
「流すよ。」
「はーい。」
シュワー。
おでこから頭頂へ、そして少しずつ下へ下へ。
「はい、シャンプー完了。」
「えー、もう一回してー。」
「無理…。」
「あははっ。ありがとう、鷹志さん。すごく気持ちよかったよ。」
「なによりであります、姫。」