弾ける記憶-1
清志くんはひざまずき、割れたガラスの破片を慎重に取り除いて写真を拾い上げた。
「この右端に写ってるの、美濃村源治さんだよね。」
「そう…だけど。どうして私のおじいちゃんを知ってるの?」
「左端は盾風(たてばやし)剣太朗。」
「…って、あの狂鬼の画伯と呼ばれてる!?なんでうちのおじいちゃんと…」
「そして中央は菅野清成。」
「天才作曲家…」
清志くんは黙って頷いた。
「僕の祖父だ。」
「…。」
私は頭がこんがらがってワケ分かんなくなった。
盾風剣太朗画伯、作曲家の菅野清彦。ずっとこの診察室の片隅に飾ってあった小さな写真が、そんなスゴい人たちとおじいちゃんが写ったものだったなんて。
「本当に妹なんだよ、蘭火は。」
「え?」
ポツリ、と彼は話し始めた。
「血は繋がってないけどね。ありがちなパターンだけど。」
「へ、へえ、そうなんだ。」
清志くんは遠くを見るような眼をしながら話を続けた。
「子供の頃。たぶん小学生になってすぐだったと思う。僕は絵を習い始めたんだ、近所のおじさんにね。」
「も、もしかしてそれが、盾風剣太朗?あの狂鬼の画伯の!」
「そう呼ばれてるね。確かに彼の絵は狂気のごとき凄まじさで鬼神のごとく容赦なく見る者にザクリと切り込んでくる。それは事実だけど…。世間で思われてるような怖い人じゃないんだよ、お弟子さんや僕らの前では。にこやかで優しい絵描きのおじさんだった。」
「だった?」
「亡くなったんだよ、三年ぐらい前に。」
そういえば。何かのニュース速報で見た覚えがある。
「蘭火は剣太朗おじさんのお孫さん。絵を習いに通っているうちに仲良くなっていったんだ。一緒に絵を楽しむお友達。ずっとそう思ってた。でも、彼女は違う想いを持っていた。」
そうなんだ…。
「蘭火のご両親は事故で既に亡くなっていた。それを剣太朗おじさんが一人で育ててたんだ。だから…おじさんが亡くなって蘭火は独りぼっちになってしまった。」
「それをひきとって?」
彼は頷いた。
「亡くなる直前に病室に呼ばれたんだ、僕と両親とおじいちゃんが。蘭火は既にそこに居てボロボロ泣いていた。おじいちゃんは言ったよ、この子は俺が預かる、心配するな、って。そしたら剣太朗おじさんは言った。バカいうな、オマエ俺と同い年だろが、いつまで見れるんだ、ってね。」
「だから蘭火さんをご両親がひきとって、清志くんの妹になったんだ。」
「そう。だけどその時、僕は大きなミスをした。」
「ミス?」
「泣きじゃくってる蘭火に言ったんだ。泣くな、お前は俺が守る、任せろ、ってね。」
「…それ、勘違いされる…」
「その通り。」
だからあの時公園で、彼女、あんなふうに。
「…ごめん。私、言い訳だと思ってしまって。」
「いいんだ。というか、僕が悪いんだ。ちゃんと説明すべきだったのに、あの時は動揺してしまって。」
「私は電話もメールも診察の時も話聞かないし、か。」
二人とも苦笑いして見つめ合い、並んでベッドに腰かけた。泌尿器科専用診察台とは別に置いてある普通の診察ベッドだ。
「あ、もう一つの疑問なんだけど。」
「会ったことがあるかもしれない、て言ったこと?」
「うん。私、全く覚えてないんだけど。」
「そうか…そんなもんかもね。」
「そんなもん?」
清志くんに以前のような屈託のない笑顔が広がった。
「たぶん僕が三歳ぐらいの時。だから蘭火が生まれるちょっと前だったのかな。僕はおじいちゃんに連れられて近所の医院に行った。」
「病気になったの?」
「いや、はっきりとは覚えてないけど違うと思う。診察は受けないで、その家の少し年上のおねえさんと遊んでただけだし。」
「へえ、遊んでもらったんだ。」
「うん、すごく嬉しかったのを覚えてる。一人っ子だったからお姉さんというものに憧れがあったし、とても綺麗な人だったから。」
「ふうん、そうなんだ。よかったね。」
「よかった、のかなあ。」
「なにそれ。」
「そのおねえさんね、僕を空いてる診察室に連れていくなり診察台に拘束したんだ。」
え…同意も無くいきなり拘束って…。
「末恐ろしい子ね。」
「そしてズボンを脱がせ、嫌がってる僕のパンツを引きずりおろした。」
おいおい。
「犯罪じゃない!大丈夫だったの?」
「ニヤニヤ笑いながらジロジロ見てたけど、触ってはこなかった。」
「セーフ?いやグレイ?いやいや、ブラックでしょ。」
「それ以来、僕はその医院へ行くのを拒んだ。」
「そりゃそうよねえ。そんな怖い思いしたら。」
「そう、怖かった。でも、それはそのおねえさんに対してじゃない。」
「違うの?」
「怖くなったんだ、自分が。」
「え、自分?どうして?」
「拘束され、ジロジロ見られているとき…なんだか分からないモヤモヤがお腹の底の方にジーンと広がったんだ。」
「あの、それってつまり…。」
「そういうことだね。今なら分かる。でもその時はとにかく怖かった。自分はおかしくなってしまうんじゃないか、と。だから二度とあんな所には近づくもんかと思った。まあ、その後すぐに医院ごと引っ越していったから、行きたくても行けなかったんだけどね。」
「…やっぱり怖いおねえさんじゃない。分かっててやってるよね、それ。なんでそんなことをしたんだろ。」
「こっちが訊きたいよ。どうしてあんなことを?」
清志くんは私をじっと見つめている。
「…え?…ええ?」
彼は視線を外さずに頷いた。
「そのおねえさんが居たのは美濃村泌尿器科医院。院長は美濃村源治先生。」
「あ、あわ、あわわわ…。」