この体勢って…-1
「あれ?」
私、浮いてる。
目の前にはガラスのテーブルが確かに有るのに、顔面衝突せずに一定の距離のまま止まっている。
「大丈夫か。」
「え…。」
ボンヤリした目で見上げると、清志くんが私を見つめていた。胸ではなく、目を。1ミリの狂いもなく真っ直ぐに私の目を見つめていた。
私はようやく状況を理解した。
「助けてくれたんだ…。」
彼は膝立ちになり、ガラスのローテーブル越しに手を差し出して私の体を受けとめてくれている。
その時に倒れたと思われる湯呑みから、熱々のお茶が大量に彼の太腿に掛かっていた。
「あ!やけどしてな」
「そんなことはいい!痛いところはないか?」
「あ、うん…大丈夫みたい。」
清志くんは青い細渕メガネの奥の瞳を優しく細めた。同時に、彼の顔には花のような笑顔が広がっていった。
「よかった。」
「あ、あの…」
「何?」
「絨毯にお茶、こぼれてるんだけど。」
私は彼から目を逸らし、テレ隠しについそう言ってしまった。
「うわ、すみません、諒子さん。拭きます、擦ります、なんとかします、ごめんなさい!」
「こら!タメ口の約束でしょ。」
「あ、そっか。ごめんなさ…」
「さ?」
「ごめん。」
「よし。」
私は清志くんに支えられ、正座の形に着地した。彼も正座した。二人はガラスのローテーブルを挟んで向かい合わせに正座する形になった。
「でも、マジでごめんね、これ。」
絨毯のシミと私の顔を交互に見ている。
「いいよ、安物だし。」
20万…。
「それより、足見てあげようか?ヤケドしてないか。一応医者だし。」
「うん、お願い。ホントはちょっとヒリヒリしてるんだ。」
苦笑いする彼の顔には、なんだか子供っぽい無邪気な可愛らしさが滲んでいる。
「はい、じゃあ、ズボン脱い…ぬ、脱い…」
「うん、ぬ、ぬ、脱ぐ…」
診察室のノリで脱げと言っては見たものの。ここは私の一人暮らしの部屋だという事を思い出し、口ごもってしまった。
「…。」
「…。」
気まずい空気になってしまった。フツーに脱がせときゃなんでもなかったのに。
「は、早く。冷やさなきゃ。」
「う、うん。冷やされなきゃ。」
清志くんはダークブラウンのアンクル丈ストレッチ・ジーンズに、ワケの分からない文字だか絵だかが踊っているロングT。まあ、いつもの診察の時と変わりないファッション。
しかし私は…。
足首まであるユルフワのベージュのスカンツにザックリと胸元の開いた大き目の白いカットソー。診察の時とはあまりにも違う。
医者ではない時の私の完全に私的な一人暮らしの部屋なのだ、ここは。そんなあまりにもプライベートな空間で今、私と清志くんは二人きり。
そんな危うい状況に置かれているのだという事を改めて意識させられてしまった。
それは清志くんも同じ様に感じているみたいだ。俯いて床を見つめている。
…。
カチャリ。
「え?」
不意に清志くんが立ち上がり、ベルトを外した。
「あの…。」
ジーンズのホックを外し、
チー。
ファスナーを下ろした。
ファサリ。
支えを失ったズボンは重力に従って彼の足首まで落ちた。
診察の時は先に下半身を全て脱いでもらってから診ている。でも、目の前で脱がれるのは初めてだ。しかもそこに現れたのは、丸出しではなく、布に包まれ、大きく膨れ上がった…。中を想像させる分、むしろエロい。
「諒子さん、どうかな?」
どう、って。
「すごい…。」
「そ、そんなに酷いヤケドしてるの?」
あ。
「い、いえ、そうじゃなくてね。あれだけ熱いお茶を被ったのに、これだけで済むなんて、スゴいよ、清志くん。」
焦りはしたが、適当なことは言っていない。専門ではないとはいえ、医師免許はダテではないのだ。一目見ればだいたいの事は分かる。
「そうなんだ、よかったよ。」
ホントは熱かったんだよね。当り前だけど。私を気遣うのが先にたって、そんなことは後回しにしてくれたのかな。私の事を自分の足より大切に思ってくれたのかなー、なんてね。
「もうちょっと近くから診てもいい?」
「うん。」
私も立ち上がり、テーブルを迂回して清志くんの横に立った。
「うわ、おっきい。」
「え?」
「あー、いやいやいや。背、高いね。診察の時は二人とも座ってるか、清志くん寝てて私立ってるかだから、こんなふうに並んで立ったことなかったよね。だから改めて気がついたの。」
「そういえばそうだね。」
パンツの中身が大きいのはとっくに知ってたけど。
「こっち向いて。」
「はい、先生。」
「こらこら。」
私は彼の前にひざ立ちになった。すると、目の前に…。
思わず目を逸らしてしまった。
「どうしたの?」
「ん?いや、何でもないよ。」
何でもなくない。この体勢って、まるでアレする時の…。
違うだろ、今この瞬間、私は医者だ、医者になるのだ。