密室で誘惑-1
「ねえ、清志くん。」
「ん?なに、諒子さん。」
私たちは恋人同士になった。ま、実践的に治療する為の疑似的なものなんだけどね。
「お茶、淹れてあげるね。」
「うん!お願い。」
美野村家と古くから付き合いのあるお茶屋さんが特別に取り置きしてくれてる茶葉を秘伝のワザで淹れるお茶に感嘆しない者はいない。
「どう?」
「ん?美味しいね。」
「そ、それだけ?」
「何が?」
…居た。感嘆しない者が。
「なんてね。こんなうまいお茶、初めてだよ!」
よっしゃ。
1LDKのこの部屋は、学生の頃から住んでる。研修医が終わったんだから実家に帰ってもいいんだけど…やめられないのよね、この自由!
遠慮しないで友達呼べるし、もちろん友達以外も。…。というわけで、住み続けている。
ご飯作るのメンドー、とか洗濯メンドー、とかなった時は実家に行けば解決するし。
現在の職場、つまり実家からもわりと近くて超便利なのよね。
落ち着いた環境で勉強に励みたいから、って親をだま…説得して始めた一人暮らし。このまま結婚するまでここに居るような気がするなあ、私。結婚…するのかなあ。
今日は清志くんを初めてこの部屋に招いた。そのためにメッチャクチャ頑張って部屋を片付けたのはヒミツだ。いま友達が訪ねてきたら、あ、すみません、部屋間違えました、って帰っていくだろう。
ピンポーン。
誰だろ?
「はーい。」
ガチャ。
「…すみません、部屋間違えました。」
ほらね、っておい。
「間違ってないよ、私だよ、わーたーし。」
「え?諒子?」
キョロキョロ。
「引っ越したの?」
なんでやねん。
「あ、こんにちは。菅野といいます。初めまして。」
「…。」
「あ、あ、あ、あのね、」
玄関の外に引きずり出された。
「なによあんた。あんなイイ男部屋に連れ込んで。もうしたの?」
「しようと頑張ってるところなのよ。でも、なかなかうまくいかなくて。」
友人は首を振った。
「あんた、見た目はバッチリだし頭もいい。でも性格に問題が…んぐぐ…。」
「どうしたの?諒子さん。邪魔だったら…」
「いえいえいえ、邪魔なのは私の方ですよ。ゴメンねー諒子。」
「いや、ちが…」
「頑張れ。」
そう囁いて彼女は帰っていった。
「頑張る…けどね。」
ふう…。
「よかったの?」
「うん、大丈夫。また今度遊ぶから。」
清志くんはにっこり笑った。ベースがイケ過ぎてる彼が笑うと、対消滅兵器が実用化されてしまったぐらいの威力で私をなぎ倒す。
…でも、本当は医者と患者なんだよね。いくらゴッコしても。
彼は主治医の私の指示に従って恋人役をやっている。私は…。医師として彼のEDを治療するためのオカズをやっている。ただそれだけの関係。
…。
「諒子さん、どうかした?」
「ううん、何でもないわ。」
さて、オカズはオカズらしく使命を果たすとしますか。
「ね、レコード聴かない?」
「レコード?CDじゃなくて?」
「そうよ。CDは確かに扱いやすくてどんな装置で鳴らしてもまあまあの音が出る。でも、音の波形がギザギザで、デジタル特有の不快なザラザラ感がある。それはCDの原理上、避けられない。」
「へー、そうなんだ。」
「アナログレコードは扱いが難しく、それなりの装置と知識がないとまともな音が出ない。そのかわり、波形にギザギザがない分、ナチュラルでまろやかな音を聴かせてくれるの。」
清志くんは今ひとつピンと来ていないようだ。
「そこのローファーに座ってて。実際に鳴らしてみるから。」
ローファーって、お尻が床に着くぐらいに低いソファーのことね。洋風の二人掛け座椅子、みたいな。
私はオーディオ装置の方へ向かった。
管球式アンプには既に火が入っている。ボリュームノブが左へいっぱいに切られていることを確認し、ターンテーブルのカバーを開いた。
レコードはもう載せてある。サイクロン・バキューム付き静電気除去ガンのトリガーを引き、ジー、ジー、とレコード表面を薙いだ。もちろん、直接ぶつけたりはしない。
ターンテーブルを始動させた。回転盤部分だけでなんと24kgもあるというモンスター。詳しい説明は省くけど、重いほど音が安定するの。
ツインDD&イグニションBDの強力なトリプルDCモーターが、完全なる静寂の中でモンスターをスピンアップさせていく。電源はもちろんオーディオの為に強化と整流を施した専用ラインを使っている。それは家電用とは独立している。
カバーを閉じ、クリスタルロック&FGサーボが既定の回転数に安定させるのを待つ。
レーザー照準式のピックアップヘッドがリニアトラッキングアームを誘導して正確にレコードの最外周をポイントし、静かに着盤したのを確認してボリュームノブを優しく回した。
メロウなジャズが部屋中の空気に薫り漂った。