眠れる魔獣-2
「あの…。」
「こんにちは。担当医の美野村諒子(みのむらりょうこ)です。お掛けになりませんか。」
「あ、はい、こんにちは…。」
彼は私が勧めた椅子によく引き締まったお尻を乗せた。
「…。」
だいぶ固くなってる。どうせなら問題の部位が硬くなればいいのに、とかふざけてる場合じゃない。症状が症状だからなあ、話し辛いよね。なんとかしなきゃ。
「クリスマスって、いつだと思います?」
「え?」
虚を突かれたようにポカンと口を開けたまま静止した。よしよし、掴みはOK。
「12月…25日、じゃないんですか?」
「じゃ、クリスマス・イヴは?」
「その前日、24日ですよね?」
「クリスマスは12月25日で、イヴはその前夜祭、みたいな?」
「ええ、ずっとそう思っていましたけど…違うんですか?」
「一般的にはそうですよね。でも、イヴはね、本当はクリスマスの本番そのものなんですよ。」
「え、そうなんですか。」
「ええ。イヴは英語のevening、つまり夕暮れからきています。ユダヤ暦では日没を一日の区切りにしていたので、クリスマス・イヴはもうクリスマスの当日というわけです。まあ、諸説ありますが。」
「はあ…。」
「私、クリスマスには他の人よりちょっとだけ詳しいんですよ。なぜなら…それはヒミツです。」
「はあ…。」
ん?喰い付かないわね。それじゃあ、これはどうかな。
「そんなクリスマスを、今年は誰と過ごすんでしょうねえ、菅野さん。」
「さあ…どうなんでしょう。」
…ダメだ。気分をほぐそうと思ってわざと関係ない話から入ったんだけど、反応が薄い。子供の頃からの鉄板ネタが完全に空振り。まだ暑いのに冬の話をされてもピンとこないのか、それとももしかして、私が若い女だから困っちゃってる?症状がアレだから。
「あの、菅野さん。私では話しにくいようでしたら、担当医を変わることも出来ます…」
「いえ!そういうことでは!」
「!」
突然の大声に驚いた私は、マンガのように両手を上げてのけ反ってしまった。
「あ、すみません。おじいさんの先生を予想してたのに、若くて素敵な女の先生なので戸惑ってしまっただけです。よろしくお願いします。」
若くて素敵…まあ、なんて正直な子なの。それに、なんて豊かによく響く心地よい声なの。
「そうでしたか。では、問診から始めてもよろしいですか?」
「はい、お願いします。」
いくぶん落ち着きを取り戻した様子で彼は私の目を見つめた。
吸い込まれそうなほどに純真でまっすぐな瞳に、私は一瞬クラっとした。
こんな子がEDなんて。なんとしても救ってあげなくては。
私の泌尿器科医魂に火が付いた。いや、どの患者にも平等に火がつけよ、私。
「えー、まず、自覚症状を感じたのはいつ頃ですか?」
「今から三年前、19の時です。」
「それから結構時間が経ってますね。」
「ええ、ずっと頑張ってはみたんですけど、どうしてもダメなんです。でも、このままで終わりたくない、って思ったんです。」
「ちゃんとエッチがしたい?」
「え?あ、はい、そうです。」
普通は性行為とかいう言い方を医者はするんだけど、この子にはストレートで平易な接し方をした方がよさそうに思った。
「エッチをしたことは?」
「あります、あるんです…けど…。」
「うまくいかなかった。」
「はい。」
「それが初めてだったの?」
「そうです。」
「勃ちはしたした?」
「いいえ、ダメでした。」
「その後は?」
「何度もチャレンジしましたけど…ダメなんです、気持ちはちゃんとあるのに。」
なるほど。初めての時にうまくいかなかったのが精神的な要因になっている可能性が高そうだ。でも、身体的要因の可能性も排除できない。
「自分ひとりでする時はどうですか?勃ちますか?」
「あ…えっと…。」
彼は端正な顔を俯かせ、床を見つめた。
まあそうなるわな。私だって、自分でするときはどんな具合?なんてイキナリ訊かれたら面食らう。でも。
「答えにくいですよね、分かりますよ。でも、医療上の単なる情報交換ですから。サラっと訊きますのでサラっと答えて下さい。」
「はい。失礼しました、先生。」
「いえいえ。」
性格もよさそうだ。素直だし礼儀もわきまえている。
「自分でする時は勃ちますし、しばらく弄ってたらちゃんと出ます。他の人の事は知りませんが、特に問題を感じたことはありません。」
そうか、するんだこの子。当り前だけど。
「オルガズムはどうですか?」
「オル?…」
「あ、すみません、いわゆるイクという現象です。出るとき、気持ちいいですか?」
彼は自分の記憶を探るように目を閉じ、少し俯いた。
「気持ち…いいです、すごく。そこを中心に下腹部がジーンと痺れて、その快感が根元にギュゥーっと集まってきて、先端が膨れ上がって…放出の直前は膝がガクガク震えて、体が宙に浮いたみたいな感じになります。そして出た瞬間、いっきに全身の力が抜けて…声が漏れるのを抑えることが出来ません。」
「そ、そうですか。」
医療だ、サラっと答えろとか言っといて、私が動揺してどうするのよ。
でもね、こんなイケてる子が自分がイってる時のことをリアルに思い出しながら詳細に語ってるのよ?私だってオンナなんだから妄想するなという方が…。
「先生?」
私の沈黙を、医療的に深刻な事態のせいではないかと思ったみたいだ。
「あ、ごめんなさい。お話の内容から検討したところ、おそらく身体上の問題ではないと思います。」
彼はほっとした表情を浮かべた。なんとも無邪気で可愛いらしい。