温泉から見えるもの-1
「うわあ、スゴイよ、フウカちゃん!」
ここはガラス張りの広ーい温泉。目の前を遮るものなど何もない。
湯舟はゴツゴツとした石垣の様なものに囲まれており、それ以外の床は石のタイルが敷き詰められている。その表面はほとんど平坦で、ザラっとした感触が足の裏に気持ちいい。
窓と湯舟の間は1メートルぐらい離れており、そこはまるで細長い舞台のようにも見える。
私は今、その舞台の上に猫の様な姿勢で登り、ギリギリまで顔を突き出して窓の下を覗き込んでいる。
眼下には、船下りで有名な大きな川が流れている。白い波頭を岩にぶつけて荒れ狂う様が、手が届きそうなくらいの迫力で迫ってくる。
「危ないよ、セリナちゃん。」
「大丈夫だよ、窓ガラスあるから落ちないよ。」
「そうじゃなくて、」
「わっ!」
ツルリ、ゴン。
温泉で濡れた床は、意外なほどに滑りやすかった。
床に突いていた私の両手は左右に滑り、見事におでこを窓にぶつけてしまった。
ついでに胸が床でベチョ、っと潰れてしまった。
「セリナちゃん!」
ジャボジャボ、っとお湯の中を助けに来てくれたフウカちゃんが一瞬足を止めた。
「え、何?…あ!どこ見てるのよ、フウカちゃん。」
上半身がヘチャげたことで、私のお尻はグイっと持ち上げられ、突き出されている。
「え、あ…あの。」
「なんてね!早く助けてよ、痛たた…。」
「あ、うん。ごめんね。」
「なんであやまるのよ!あはっ。」
フウカちゃんは私の体を起こし、湯舟の角に座らせてくれた。
「ね、おでこ、キズになってないか見てくれない?」
「うん、見せて。」
フウカちゃんの手が私の顔に近づいてきて、前髪を持ち上げた。内気で純真な、濡れたような瞳が私を見つめている。二人の顔はかなり近い。
「大丈夫、みたいだよ。」
言いながら彼女は目を逸らした。
「よかったー!一応オンナノコだからね、これでも。フウカちゃんと同じく。」
「うん…そうだね。」
山間の温泉地にあるイイ感じのホテル。ここは合宿地としてもよく利用されている。
盆地に広がる見渡す限りの平野には、テニス、サッカー、野球その他のグラウンド、つまり広い土地を必要とするものがなんでもある。
普段、グラウンドの取り合いで苦労している私たち野球部にとっては、ストレスフリーなパラダイスなのだ。
そのうえ、源泉かけ流しの温泉、山の幸、川の幸、なんと海の幸までもがリーズナブルに味わえる!
比較的最近起業した若手社長が勝負をかけて開発したとかで、価格は抑えてもサービスは妥協しない、というのが売り文句。
それは実現されていると思う。
私たちは今年初めてここを合宿地にした。でも、口コミに対しては半信半疑だったんだけど…。最高に素晴らしいではないか!練習を忘れて温泉旅行になってしまわないかがちょっと心配かな。
「あー、練習の疲れが飛んでいくね。初日からいきなりホンキだったからまいってたんだけど。」
「何言ってるの、先頭きって頑張ってたの、セリナちゃんじゃない。」
「まあねぇ。エースはツラいわあ。」
「キャッチャーだっていろいろ大変なんだよ。」
「分かってるって。これからもよろしく頼むね、相方!」
パーン。
フウカちゃんの背中を叩いた。
「う…セリナちゃん、自分が剛腕ピッチャーだってこと、忘れてるよ。」
「あ、ごめーん。」
「それに、普通は相棒って言わない?相方だとお笑いさんみたい。」
「そのくらい親密で大切で重要で密接で…要するに好き、ってことなんだけど。」
「え…。」
「嫌?」
「あの…。」
「嫌?」
「…ううん、私も…好き…だよ、セリナちゃん。」
「相思相愛!恋人同士だね。」
「そ、そういうのとは少し違う…気がするけど。」
「チっ。私、フウカちゃんならオンナ同士でもいいかな、って思ったのにな。」
「…。」
フウカちゃんは俯いている。
「大丈夫?顔が赤いよ。湯当たりかも。上がろうよ。」
「あ、うん、ごめんね。」
私はザバザバァ、フウカちゃんはチャポチャポ、と湯舟を横断し、軽くシャワーを浴びて更衣室へ出た。