第3話『オリンピック』-3
8月◇日。
昨日の興奮が冷めない。 徹夜で走って、学校ではずっと爆睡してしまった。 でもクラスメイトはみんな同じで、誰も授業なんて聞いてなかったし、先生もニヤケっぱなしで注意しないし、もうしっちゃかめっちゃかで、それでも嬉しいから全部許しちゃうみたいな空気。
閉会式は厳かな雰囲気だった。 次の開催地は『サウス・ペニンシュラ』の『ヒラマサ』らしい。 トーチで聖火を渡す儀式中など、しわぶき1つ聞こえなかったし、開会式と全然違う。 つまり、お祭りは終しまいだ。
昨日のマラソンでアドルフに敗れた『ニホン』の選手2人は、閉会式にはいなかった。 あとで新聞で読んだんだけど、宿舎で自殺したらしい。 しかもお腹を切って、床に立てた刀で首を貫いたそうだ。 たかが競技に負けただけで死ぬっていうのはどうなんだろう? どんなに悔しかったにせよ、死を選ぶなんてひどすぎる。 アドルフに負けた自分が許せなかったのかどうか知らないけれど、せっかくアドルフが頑張ったのを否定されたようで、正直いって気分が悪い。 可哀想っていうより、みっともない。 真剣勝負は誰もが素直に勝者を湛えるからこそ価値がある、とあたしは思う。 名勝負にはグッド・ルーザーが必要で、負けた時は潔く相手の手を挙げてこそカッコいいのに……やっぱり山猿は山猿だ。 貴族精神と最も縁遠い連中。
明後日のアドルフ帰国に併せて、メインストリートで凱旋パレードがあるらしい。 学校は午後からお休みになった。 あたし達もクラスみんなでアドルフに会いに行くつもりだ。
8月○日。
パレードの締めは、セントラルパークでアドルフからのスピーチだった。 『ニホン人はおそるるに足らない』『ニホン人は組織的に優遇されている』『ニホン人はアンフェア(不公平)だ』『ニホン人はダブル・スタンダード(二重基準)だ』『ニホン人はセルフィッシュ(自己中心的)だ』『ニホン人に負けるな』『ニホン人より我々が一段輝いている』――全部、あたし達が普段から思ってたことだ。 『ニホン』が怖くて誰も口に出来なかったことを、みんなの前で喝破したアドルフ。 実際マラソンでニホン人を2人も倒したアドルフが言うんだから、絶対間違ってなんかない。 スピーチの後半はみんなの拍手が凄すぎて、正直何言っているかよく分からなかったけれど……それでも身体がブルブル震えた。 すごく気持ちが籠った時間だった。
『やれば出来る』
アドルフがスピーチで何度も何度も繰り返したフレーズ、『やればできる』。 アドルフはこうもいった。 『出来ないんじゃない、やらないだけだ』って……『出来ないんじゃなくて、やらないだけ』……胸の辺りがチクチクする。 あたしも『やらないだけ』なんだろうか? 本当に『やればできる』んだろうか?
セントラルパークから帰って、もう何時間も経つんだけど、まだ少しだけ胸が痛い。 何でこんなにモヤモヤするのか、上手く言葉にできないんだけど、兎に角チクチクとモヤモヤで、どうにも眠れそうにない。 あたしもアドルフみたいになれるんだろうか? いつかアドルフみたいにニホン人に勝てるなら、あたしなんて今は全然ダメだけど。 だけど、勝てるって分かってるなら、どんな努力だって我慢できる……そんな気がする。