月明かりの夜に〜彼女たちの秘密〜-2
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アスファルトで舗装された歩道を離れ、街灯の少ない砂利道へ。
そこからしばらく歩いた先に大きな川が流れている。
川幅が広く流れが穏やかで、周囲には芝生の広場も作られているため、昼間はこの河原で小さな子供たちがよく遊んでいた。
ただし夜になると暗くて危険なこともあり、日暮れから後はほとんど誰もよりつかない。
莉乃は河原に下りていく石の階段の途中で、ふいに真上を指さした。
「ほら、今日は綺麗に見えるよ。真由の大好きな満月」
「満月……?」
莉乃につられて上を向くと、夜空は見たこともないほど大きな月が輝いていた。
太陽とは別種の、白く穏やかな光。
真由は思わず目を細め、息をのんだ。
なんともいえない懐かしさが胸にこみ上げてくる。
ふっ、と脳裏にひとつの光景が思い浮かぶ。
莉乃と手を繋いで、まったく同じ月を見たことがある。
濃紺の制服、おそろいの茶色い革靴。
月明かりの下。
莉乃の真っ直ぐな黒髪がさらさらと風に揺れて、それがすごく綺麗で。
せつなくなるほど静かな夜だった。
あれはいつのことだったのか。
真由の心を読んだように、莉乃が小さな声で呟く。
「高2の文化祭の後にね、ふたりでここに来たの。覚えてない?」
「覚えてる、なんとなくだけど」
「あの日、クラスの出し物で劇をやったでしょ。それで、真由はヒロインだったんだけど台詞を少し間違えてね、誰も責めてないのにわんわん泣いちゃって」
大丈夫、気にしなくていいって、みんなが慰めてくれた。
ぼんやりとした記憶が、莉乃の言葉ではっきりとした形を持って蘇ってくる。
温かな繭に守られていた、優しい時間。
「でも放課後になっても泣き止まないから、涙が止まるまで散歩しようって言ってここに連れてきたんだよ。だって真由は星や月を見るのが大好きだったから」
人工的な明かりの多い街の中では、空のささやかな光などかすんでしまう。
だけど、まわりに何もないこの河原に来れば。
暗闇の中できらきらと輝く、見事な夜空を楽しむことができる。
いつまで見ていても飽きなかった。
でもこの数年、真由は夜空を見上げることなどすっかり忘れていた。
やらなくちゃいけないことが多すぎる。
年々、時間や約束に縛られて身動きが取れなくなっていく。
「わたし、何やってるんだろう」
ぽろりと零れた言葉が合図になったように、涙が一筋流れ落ちた。
莉乃の小さな手が、労わるように背中を撫でてくれている。
その手があまりにも優しいものだから、ますます涙が止まらなくなる。
「真由、あのときと同じこと言ってる。たぶんね、頑張り過ぎて疲れちゃったんだよ」
「でも、わたしなんて全然頑張ってない」
「ほら、それもあのときと同じ。自分のことそんなふうに言わないで。疲れたって、苦しいって、ほんとのこと言っていいんだよ」
誰も怒ったりしないから。
それに、いまは誰も見ていない。
だから、たくさん泣いてもいいよ。
固く凝り固まっていた心が、少しずつほぐれていくような気がした。
「わたし、このまま……普通のまま、オバサンになっちゃうのかな」
「え?」
「ごめん、そんなこと思うなんて変だよね」
「変じゃないよ。真由の思うこと、聞かせて」
「さっきも言ったけど、結婚して、子供産んで、仕事しながら育てて、それが嫌だってわけじゃないけど、でもそれで終わっちゃう人生って」
決められたレールの上を、無理やり走らされているようで息苦しくなる。
まわりが進学するから、それなりの学校に進んだ。
親が安心するから大手の企業に就職した。
同僚や友達に彼氏ができていくのを見て、自分も恋愛しなくちゃいけないと焦った。
プロポーズされたから、そろそろ結婚しなくちゃいけないと思った。
傍からは順風満帆にみえるのかもしれないが、そこには自分の考えなどほとんど関係なかった。
もっと自分の意志で特別な何かをしてみたかったのに。
普通じゃない、何か特別なことを。
真由の話を聞きながら、莉乃はくすくすと笑っている。
「なんで笑うの、やっぱり変だって思った?」
「まさか。真由ったら全部、あの夜と同じようなことばかり言ってるんだもん。もちろん言い方は違ってたけど」
「そうなの? わたし、何て言ってた?」
「真面目に頑張るばっかりじゃつまんないって。いつも『普通の子』だから、たまには普通じゃないことしてみたいって」
「ほんとだ、わたし同じこと言ってる」
馬鹿みたい、と泣きながら笑った。
それに莉乃の笑い声が重なる。
「あはは、いいじゃない。ほんと、懐かしい」
「そうだね、高校の時に戻ったみたい」
一瞬の間があった。
ひんやりとした風が足元を吹き抜けていく。
「真由、その後のことは覚えてない?」
「覚えてないって、何を?」
「その後、わたしは『普通じゃないことしてみたい?』って真由に言ったの。それから」
「それから……?」