雨の訪問者-2
「お茶、淹れるよ。」
「うん!いつも美味しいお茶淹れてくれたよね。ここに来る楽しみの一つだったよ。」
「これはこれは、光栄の極みで御座いますな、姫。」
文香の眼が細められ、口元に笑みが広がった。
「姫、か。そう呼ばれてたね、私。」
はっきり言ってメチャクチャ整った美しい顔、スラリとキュートなシルエット、サラサラ流れるストレートのロングヘア。完璧に美人。だけど、冷たさは微塵も感じさせず、どこか天然な少女を思わせるその人柄から、親しみを込めて姫と呼んでいた。
キッチンへ立った。キッチン、と言うほどのものではないけど。
透明なガラスの瓶に入れて棚に並べた茶葉を一通り見まわした。元気の出そうな、でも安らぎを感じてもらえる様にセレクトして手もみブレンドし、抽出用の円筒形ガラス容器にザーっと流し込んだ。丁度その時、笛を吹いたケトルの火を止め、適温の82度まで冷ましてから数回に分けてゆっくりゆっくりと注ぎ、蒸らす。
「あ、いい香りしてきた。懐かしいなあ。」
棚の奥にしまってあったシンプルなティーカップを二客引っ張り出してきて、抽出器と共に盆に乗せて部屋に運んだ。
「キター!」
はしゃいでいる文香はガラス製のテーブルの前にあるローファーに膝を抱えて座っている。座椅子を洋風にしたようなそのローファーは、膝を立てないと座れないぐらい低い。
「姫、午後のお茶で御座います。」
「爺、午後と言いながら既に日が暮れておるではないか。」
あと数時間で日付が変わる。
「これはこれは、わたくしといたしましたことが。」
文香は急に口を閉じ、持ち上げたティーカップを見つめている。
「どうしたの?」
「…これって、あの時のだよね。」
「そうだよ。」
「まだ持っててくれたんだ。」
「捨てるもんかよ。」
「そっか。なんか…嬉しい。」
文香の隣に座った。
「頂きます。」
「召し上がれ。」
文香の方を向いて飲みかけた俺は、せっかくのお茶を吹き出しそうになった。
「何やってるのよ。大丈夫?」
「あ、うん。ちょっとヘンなとこに入っちゃったかも。」
彼女は今、下着を着けていない。上も下も。真横から胸のあたりを見ると、小さな、しかしはっきりとした突起がツン、とジャージを押し出している。二つ。
「あー、やっぱりここのお茶は最高ね。来てよかった。」
カップを傾ける度、文香の胸が上に反り、ツンツンとその周辺のふくよかなシルエットが際立つ。
一瞬目が合った。でも文香は何事も無かったように微笑んでお茶を飲んでいる。
「ね、何か音楽かけてよ。」
「いいよ。リクエストは?」
「お任せ。」
「そのリクエストが一番難しいんだよなあ。」
「ムチャ振り?」
「いや、そこまでじゃないけど。そうだなあ。」
俺はローファーから立ち上がってガラステーブルを挟んだ向かい側にあるオーディオ装置に向かった。
プレイヤー、プリアンプ、管球式メインアンプの順にスイッチを入れた。そうしないと電源投入時のポップノイズでアンプやスピーカーがいかれてしまう恐れがあるからだ。最近の一般的なデジタルオーディオにはプロテクト機能が付いているのではあんまり気にしなくてもいいのだが、ウチのは全てアナログ回路、しかも繊細な真空管を使っており、そのうえ俺の手作り、と、取扱注意満載だ。
さて、肝心のレコードだが。
元気を取り戻したように見える文香が、本当はまだ重い気分を振り払えないでいるのが俺には分かる。だからと言って、ここで賑やかな曲をかけてしまうのは、素人の極みだ。
メロウなヴォーカルを選んで取り出し、ターンテーブルに載せた。気難しいМC式カートリッジを摘まみ、慎重に狙いを定めて最外縁にリリースした。そして真空管が温まった頃合いのメインアンプのヴォリュームノブをゆっくり回していく。
イントロが始まった所で文香の方を振り返り、様子を伺った。彼女は穏やかに微笑み目を閉じている。
「ぐ…。」
思わず声を漏らした俺に、文香が目を閉じたまま訊いた。
「どうしたの?」
「あー、いやいや。ちょっとEQがね。湿度の要素を加味するのを忘れててさ、予想と違う音が出たから。それと、球が温まりきっていないのかなあ、ちょっと輪郭が緩いかも。」
「そうなんだ。私、やっぱりそういうの分からないよ。」
もちろん、そんな理由でヘンな声など出しはしない。本当の理由は別にある。
俺の視線の先にはガラステーブルがある。透き通った天板の向こうには膝を抱えて座っている文香の足元が見えているのだが、少し開いた足首の間には…。
彼女は下着を着けていない。ジャージの柔軟な布一枚はその中にあるものの形をほぼそのまま伝えていた。