キュウカイノソウコ-2
「いくら休日だからって、誰かに見られたらどうするんですか?」
唇を離した途端、ルカは頬を膨らませ、唇を尖らせて抗議した。
「別に見られたって困らないでしょ。お互い独身ですから」
しれっと言いのけ、何事もなかったように一緒に喫煙所に向かった。それ以上の抗議は無駄だと悟ったらしい。
「田中課長は今日もご出勤だったんですね」
「んー、仕事終わらないからね。ルカの手も借りたいってさっき寺島係長に頼んだんだけど、断られた。男手は貸してくれるらしいけど。寺島係長、ルカのこと褒めてたよ」
嬉しそうなのは、誉めてくれたのが寺島係長だからだろうか。ルカと一緒に仕事が出来る寺島係長が、ちょっと本気で羨ましい。
「プリン、皆さん喜んでました。本郷課長もよろしく伝えて下さいって」
こちらの嫉妬になど気づくことなく、人懐っこい笑顔で話しかけてくる。
「ルカがいるって聞いたからプリンにした。じゃなきゃ、自販機の缶コーヒーで終わらせようと思ったんだけどさ。駅ナカのはさすがに買いに行けなかったけど」
「でも、ここのプリンも好きですよ。嬉しかったです」
「一番喜んだのはルカでしょ?ルカに喜んでもらえたなら持っていった甲斐があります。そうだ、プリンのお礼に手伝いに来て。今日は1日中9階の倉庫にいるから…ってこら、そこは真面目に頷かなくていいから。ルカに手伝わせたら、しかも休日出勤してるときにだなんて、キミの所長に自分が怒られます」
素直に頷いたルカに、慌てて冗談だと伝える。同じ職場で働いているとはいえ、2階だけは管轄が異なり、ちょっと特殊な部署ともいえる。ルカはそこの管轄付けの採用組で、よっぽど全社的な制度改正でも起こらない限り、今後も同じ部署で働くことはないだろう。
「手伝わなくていいから、あとで9階においで」
これまた従順に頷く。9階には自販機コーナーと休憩所もあるから、休日出勤している2階勤務のルカがいるのを例え誰かに見られても、倉庫に入る瞬間さえ目撃されなければ違和感はないはずだ。
「作業残ってるので、そろそろ戻りますね」
「おぅ、お疲れ」
いつもなら、喫煙所に2人だけならこちらが吸い終わるまで一緒にいるのに先に出ていった。エレベーターで襲われるのを警戒してしまったのかもしれない。Sではないと思うのだが、ルカの困った表情には何故か猛烈に惹かれるのだ。ルカ自身、自分にMっけがあることは自覚しているらしい。
9階に戻り、作業に集中していてどのくらい経ったのだろう。そろそろ照明なしでは作業が厳しくなってきたのと、腰が辛くなって手を休め伸びをした瞬間、遠慮がちに扉をノックをする音が聞こえた。
「空いてますよー、どうぞー」
部長なら遠慮なくノックもせずに入ってくるだろうし、寺島係長はああ言ってくれたものの、所詮社交辞令だろう。とすれば、ノックの主は。
「田中課長?」
ビンゴ。聞き慣れたソプラノヴォイスは、棚の陰になって姿の見えない自分を捜すルカだ。
「きゃっ」
キョロキョロと奥へと進んできた小さな身体を棚の陰へと引っ張りこむと短い悲鳴を上げた。
「シッ」
そのまま唇で唇を塞ぐと、驚くほど抵抗された。慌てて離れる。
「もし人違いだったり、誰か他の人と一緒だったらどうするつもりですかっ」
本気で驚いたのだろう。涙目でこちらを見上げ、抗議する。
「間違うわけないでしょう。足音でルカ一人だってわかってたし」
諦めたようにため息をつき、持っていた例のバッグから缶コーヒーを取り出した。
「プリンのお礼です。休憩しませんか?」
「休憩よりルカとイチャイチャしたい…はい、ごめんなさい。7階行って一服するか?」
冷たい視線に降参のポーズをして提案すると、首を小さく横に振った。
「まだ寺島係長と木下さんいらっしゃると思います。お先に失礼しますって出てきたので」
ーお?お気に入りの寺島係長と一緒に一服よりも自分と一緒にいることを選んでくれたのか?それとも苦手な木下がいるからか?
「そっか。2階は作業終了?」
今度はこくんと頷いた。そのまま奥にある作業台のほうへ誘導し、パイプ椅子に座らせた。物珍しそうに辺りを見回している。
「何か珍しいか?」
「田中課長のカジュアルな格好、初めて拝見しました」
ここの倉庫のことかと思って聞いたのだが。今日はというか、休日出勤の時はいつも、Tシャツにジーンズだ。今日のように倉庫に籠りっぱなしになったり、力仕事が多くなる確率が高いし、休みの日にまでスーツなど着たくない。
「全裸もパンイチも見てるお嬢さんが何をおっしゃいますか。そういうルカだって、珍しい格好じゃない?」
赤面した顔をそむけたルカは、ポロシャツ風のチュニックに、細身のクロップドパンツ。足元もスニーカーだ。
「パソコンの設置と、配線もあるのはわかっていたので、動きやすいほうがいいと思って。思っていた以上に力仕事でしたけど」
聞けば、システム要員として休日出勤要請がかかっていたらしい。蓋をあけてみれば、ハードの設置に手慣れていたのは寺島係長だけで、必然的にルカもハードの設置から手を出さなければいけない状態だったらしい。寺島係長が誉めていたのも納得だ。よく見ると、細い腕に所々汚れがついている。配線のために床に這いつくばったりしたのだろう。
「お疲れさん。ウチでシャワーでも浴びていくか?」
「田中課長ももう上がられますか?」
「いや、あと1時間くらいあれば終わるかな。鍵渡すから先に行ってて、シャワー浴びたら飲んでていいぞ」
「お手伝いするので一緒に帰りませんか?」
「ルカに手伝わせたら怒られるって。もう今日の出勤分、勤怠処理したんだろ?」