9.接近-3
「誠也さんって幾つだっけ?」真雪が訊いた。
「37歳になるの。もうすっかりおじさん」
真雪が横目で真琴を睨みながら低い声で言った。
「そのおじさんが大好きなんでしょ? マコちゃん」
「うん」
真琴は笑顔を弾けさせた。
あはは、と笑って真琴の頭を乱暴になで回した真雪は、アトリエに近い冷蔵のディスプレイの前にその無邪気な中学生を案内した。
「アップルブランデー・チョコ」
真雪が言って、中に並んでいた箱を一つ手に取った。
「どうして冷やしてるの?」
「生チョコだからよ」
「すごい、なんか高級そう……」
「もう15年も前からうちで作ってるの。秋限定」
「なんで秋限定?」
「だって、リンゴの旬は秋でしょ? マコちゃんも誠也さんから聞いてるんじゃない? しつこく」
「そっか。なるほどね」
「お酒が入ってるから、マコちゃんは食べられないね」
「わかってる。大人になってから誠也にいちゃんと一緒に食べる」
「物わかりのいい子ね、感心感心」
「じゃあ決まり。これちょうだい」
「保冷剤も入れとくけど、帰ったらすぐ冷蔵庫に入れてね」
「わかった」
真琴は包んでもらってサービスで可愛いリボンまでつけてもらったそれを手に提げて、またね、と言いながら手を振って店を出て行った。
◆
十一月。その日は珍しく夜に美穂は誠也と逢う約束をしていた。無性に身体が火照り、疼きが治まらなくなっていた美穂が前日に誠也にメールしたのだ。その週は夜のクラスを持つことになっていた誠也だったが、予備校の校長に直談判して、急用ができたからと早めに帰らせてもらえるようにしてもらった。その予備校では誠也はもう古参の一人だった。彼の受け持つ授業は本人にも保護者にも評判で、大学や難関高校への合格率アップにも貢献していた。そのネームバリューで生徒数をキープしている感もあり、理事長も校長もそんな誠也に一目置いていて、彼の申し出については少し無理があっても許可を出してくれるようになっていた。
美穂は学校から帰ってきた真琴に、夕食後ちょっと友だちの所に行ってくるからと話した。そして母娘二人だけの食事の後、真琴が二階の自分の部屋に入っていったのを確認して彼女は家を出た。
自宅からしばらく歩くと公園がある。もう日も短くなっていて、あたりはすっかり暗くなっていた。公園の街灯が投げかける白い光が片隅にひっそりと置かれたベンチを浮かび上がらせている。
美穂が着ていたコートの襟を立ててそのベンチに座ろうとした時に、パールレッドの軽ワゴン車が公園の入り口に停まった。
「ごめん、待った?」
助手席の窓を開け、身を乗り出すようにして誠也は美穂に笑いかけた。
「ううん。あたしも今来たところ」
「寒いから早く乗って」
「ごめんね、急に呼び出したりして」
「全然平気。俺はいつでも君に会いたい」
頬を染めた美穂はドアを開け、その車に乗り込んだ。
「思うんだけど」
「なに?」
「誠也の前の車もこの色だったね」
「好きなんだ。この色」
「リンゴの色だから? しかもやっぱりマニュアルシフト車」
美穂は右手をシフトレバーに置いた。
「そこは譲れない」
誠也はその美穂の手を包み込むように握った。
「特別仕様車なんです」
誠也は笑いながらゆっくりと車を発進させた。
美穂と誠也は、ホテルではもう部屋に入るやいなや我慢できない様子でお互いの服を全裸になるまで脱がせ合い、キスを交わしながらバスルームに入り、シャワーでその身体を流し合い、バスタブで抱き合ってひとしきり高め合った後ベッドになだれ込むという、若い恋人並みの濃厚な時間を持つようになっていた。
誠也は独身に戻っていたので何も気兼ねはなかったが、美穂の方は人妻だ。しかし美穂の中では英明と誠也は同時にその心の中に存在していた。二人とも同じぐらい真剣に愛していたし、大切にしたいと心から思っていた。唯一英明には期待できない身体の疼きや火照りを鎮めてくれる行為を、こうして誠也に求めていたのだ。