5.結婚式-2
「ごめんなさい、叔父さん、途中、道が混んでて、」
個室の入り口に立って頭を掻いていた誠也の手が止まった。美穂と目が合ったのだった。
「なんだ、車で来たのか?」
「そうだけど」
「飲まないのか? せっかく居酒屋に来てるのに」
「今日は休肝日なんだ」
「嘘つけ」
誠也は笑った。「ここまでの足がなくてさ」
誠也は敢えて美穂とは目を合わせないようにしながら空いていた個室の入り口に近い席に座り、おしぼりで手を拭いた。
美穂の耳に、自分の心臓の速打ちが聞こえてきた。そしてまたあの身体の中心の疼きも……。
宴が始まり小一時間ほどが経った頃には、もうそこにいる出席者のほとんどが酔いが回って大声になっていた。英明も美穂の短大時代の友人たちともすっかり打ち解けて、同僚たちも交えて職場での愚痴や昔話を語り合っては大笑いしていた。
「あたし、ちょっとトイレに行ってくる」
美穂が隣の英明にそう告げて席を立った。
「ごめん、マユミ通して」
美穂は席を離れ、個室を出て行った。ユカリの隣の席に座っていた誠也は、その姿を周りに気づかれないように目だけで追った。
戻ってきた美穂はマユミとユカリに向かって言った。「ごめん一人分そっちに詰めて」
「え?」マユミが美穂に顔を向けた。「あたしが英明さんの隣でいいのかな?」
「平気よ。って言うか、もう彼、なかなか眠そうだから反応薄いよ」
英明の横に移動したマユミ、その横にユカリ、そして誠也。美穂は誠也の横、この個室の入り口に近い端の席に座った。
「英明さんの甥御さん、だよね?」
「あ、はい。叔父がお世話になります」
誠也は他人行儀な挨拶をして、テーブルに三つ指を突き額を擦りつけた。
「誠也さん、っていうお名前なの?」
「そうです。叔父から聞いたんですか?」
「さっき初めて聞いたの」
「そりゃひどい」
誠也は笑った。
それは事実だった。美穂は英明から甥が誠也という名前だということは、一度も聞いたことがなかったのだ。
美穂と誠也は、今初めて会ったような会話を続けていた。他の参加者も別段それに気を向けることなく、相変わらずやかましいほどの声を張り上げ、遠慮なく騒いでいた。
「どこでお仕事されてるの?」
美穂が聞いた。
「まだ大学三年です」
「そうなんだ。バイトとかしてるの?」
「こないだ辞めました。入学してすぐから青果の卸しの仕事を週に二日やってたんですけど、このところゼミが忙しくて、昼間はちょっと無理なんで」
「なんで青果の?」
「俺リンゴが大好きなんですよ」
「って、扱ってたリンゴは売り物でしょ?」
美穂は笑った。
誠也は眉尻を下げて美穂に目を向けた。「でも九月にいきなり配達先を変えられちゃって」
「そうなの?」
「はい。なぜか理由はわかりませんけど、それまで何か月も届けていたスーパーから、別の所に」
テーブルの下で、美穂は思わず誠也の手をぎゅっと握りしめた。
動揺したように目をしばたたかせて誠也は訊いた。
「み、美穂さんは仕事はされてないんですか?」
「うん。あたしも辞めたの。勤めてたスーパーの店長が横暴で我慢できなかったから」
「いつ?」
「九月の半ば」
「そうなんですね……」
誠也の目を見つめて、美穂は言った。
「それにあたし、毎週水曜日の朝に青果の卸でお店に来る人とせっかく仲良くなれたのに、急に来なくなったから張り合いがなくなっちゃって」
誠也は繋ぎ合った美穂の手に指を絡めて握り直した。美穂の手のひらはしっとりと汗ばんでいた。
「これからしばらくは専業主婦ですか?」
「そうね」
その時、英明の隣に座っていたマユミが美穂に顔を向けた。「美穂ー」
美穂と誠也はとっさに握り合っていた手を離した。
「な、何? どうしたの?」
「英明さん、もうだめみたい。すっごく眠たそう」
英明が弱々しい声で目をようやく半開きにして美穂を見ながら言った。「だめだ、もう起きてられない」
美穂がやれやれという顔で立ち上がった。「しょうがないなあ……」
そして隣の誠也を見下ろしながら言った。「誠也君、車で来てるんでしょ? あたし英明さんと一緒に帰るから送ってくれる?」
誠也はひどく嬉しそうににっこりと笑った。「任せてください、美穂さん。俺が責任持って」