〈弱虫の決意〉-3
『歯を磨いたら行くぞ。服も適当でいいからな』
今週も納期に追われる両親は、せっかくの休日も返上して朝早くから工場に行った。
朝っぱらから無法地帯となった家の中は、兄弟の天下である。
『そのオレンジのワンピースでイイよ。どうせ脱ぐんだからさ』
『パパパっと着ろよ!ったく鈍いなあ、このバカは……』
何処に連れていかれるのか、花恋は聞かなかった。
聞いたところでどうにもならないのだし、強要されるコトは先週と変わらないだろうからだ。
黙ってミニバンに乗り、ぼんやりと景色を眺める。
どんどんと身体を汚されていき、英明の隣にいるには相応しくない女性になっていく今が哀しく、花恋は唇を噛み締める。
やがて雑居ビルの建ち並ぶ市街地に到達したミニバンは、その中の一つのビルの地下駐車場に潜っていき、そしてエレベーターの傍のスペースに停まった。
『ここまで来て逃げんなよ?』
地下の空気はひんやりとしており、薄い黄緑色をしたエレベーターのドアは、三人を招き入れて静かに飲み込む。
軽い重力の変化を感じながら見つめる階層表示の数字は七階で止まり、さあ出ろと言わんばかりにドアは口を開ける。
その真正面には長い廊下が伸びており、突き当たりには〈事務室〉の札が掛かっていた。
『行けよ、ほら』
裕樹は花恋の背中を押すと、ぐんぐんと歩みを進めていく。
事務室は目前に迫り、肌に嫌な汗を滲ませる花恋をドアの直前に立たせた。
そしてドアをノックして、中からの返事を待ってから花恋の肩を抱き、一緒にドアを潜った。
『おはよう。君が花恋ちゃんかい?』
「……ッ!!!」
重厚な雰囲気漂う木製の机の向こうには、黒革の椅子に座った男性の姿があった。
黒くて固そうな長い髪はチリチリに縮れており、ポニーテールのように後頭部に結ばれている。
痩けた頬や顎には無精髭が生え、室内にも関わらず真っ黒なサングラスを掛けている。
その風貌の怪しさは勿論、まるで地獄の底から響いてくるかのような低い声色はとても気味悪く、思わず花恋は怯んで後退りしてしまった。
『藤盛さん、この娘は現役JKで、まだ17才なんですよ。それでですね……』
『後はコッチで聞くから。“終わった”ら連絡するよ』
藤盛という男が手を払う仕草をすると、裕太も裕樹も静かに事務室から出ていった。
あの兄弟ですら恐れている男と、いきなり花恋は二人きりになってしまった。