第30話『国内の村で発見!こんなところにお馬さん』-2
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『国内の村で発見! こんなところにお馬さん』
某沿岸漁村。 全裸の女性が地引網を引いている。 ラバースーツもアナルプラグもつけていないため、一目で『裸馬』とは分からない。 けれど、全裸でいる点、口を半開きにしている点、舌を半分口からだして息をしている点、常に踵をあげたつま先立ちで行動している点からして、しばらく観察すれば『裸馬』と分かった。 歩き方は、砂地に爪先をめり込ませながらも、背筋を伸ばして胸を張って太腿を高々と掲げている。
三尺魚が20匹ほどかかった網を潮から浜に引いたところで、裸馬に沖から声がかかった。 次は、網をここまで寄せてきた小舟を、浜地高台に引っ張る段だ。 小舟から放り投げられた舫(もやい)綱を、ジャブジャブと海に入って咥える裸馬。 手は拘束されてはいないが、裸馬である以上、決してヒト並に手で楽はならない。 奥歯でしっかり縄を噛みしめ、胸から腰に掛けて濡れた縄を身体に巻く。 口で咥えて引っ張っただけでは、到底船曳は勤まらない。 塩水を吸った縄は繊維が密集し、強く引いてもほぐれない上、ピタッと身体に密着する。 それはつまり、摩擦が大きいことを意味し、いざ肌が縄に擦れると肌がピカピカになるまで磨かれ、或は赤く腫れたて血がにじむことに繋がる訳だが……裸馬とって自身の身体は二の次であり、しょうがない。 そうしておいて余った縄を跨げば、この浜伝統の縄曳き姿勢だ。 膣に沿うように股間の下を通った縄が伸びているため、裸馬は真っ直ぐ陸(おか)を目指して歩き、小舟は後からついてくる。 時折塩でささくれた縄が股間を擦るため、その痛みでもって萎えそうになる気力をふるいたたせる塩梅だ。
沖には、現在裸馬が曳いている他に、2艘の小舟が順番を待っている。 これまで艪を操り舵をとってきた漁師陣にすれば、年頃の少女が全裸で自分たちがのった船を引くわけで、疲れをいやす目の保養だ。 中には舟が岸辺に寄るまでは勿論、小舟の底が砂地についても舟から下りない漁師もいる。 浮力がなくなると一気に重量がまし、裸馬は舟を引くために必死で前傾姿勢をとるのだが、どうしても尻越しに股間を晒すことになる。 ほとんどの漁師はチラッと少女の剝きだしのオマンコを確認すれば満足し、素直に船を降りる。 けれど中にはいつまでも小舟の艫に陣取って、ジリジリとしか船を曳けずにもがく少女たちのオマンコを、いつまでも鑑賞する者もいるのだった。
某山麓草原。 燦々と照らす太陽の下、放牧されている羊に混じって、全裸の年端もゆかない、成人からは程遠い女性が背筋を伸ばし、膝を不自然に高くあげながら歩いていた。 例え傾斜がきつい環境であろうと、裸馬である限りつま先立ちは絶対だし、常に口を半開きにして服従姿勢を全方位に知らしめつづける義務がある。 裸馬の少女は、集団から離れそうになった羊の前で嘶いたり、上半身をふるって威嚇し追い立てたりと、斜面を行ったり来たりしながら忙(せわ)しなかった。 彼女は、牧羊犬に代わって羊の群れを誘導している。 道具も腕も使わせてもらえないため動きが不自然極まるし、少女の体躯は決して羊より大きいわけではないから、中々羊も言うことを聞かない。 それでも少女は懸命に小ぶりな胸を震わせ、群れからはぐれかけた羊の前にオマンコを拡げて立ちはだかり、どうにか群れを纏めていた。
羊同様に牧草を食み、桶に直接顔をつっこんで水を飲み、そうして羊を牧舎に追い込んで、そこでウマの仕事は一段落。 けれど仕事が終わるわけではない。 裸馬は牧舎の片隅においた桶に連れて行かれた。 桶の蓋には木製のオールが取り付けられていて、ちょうど裸馬の乳房が嵌るように穴が2つ開いている。 裸馬は身を捩って乳房をオールに嵌めこむと、桶を中心にぐるぐると歩き始めた。 桶の中身は羊乳で、撹拌しながら発酵させればゴートチーズに生まれ変わる。 昼の間は高温で寝かせ、夜は一定周期で撹拌することで上質のチーズが出来るのだが、生産規模が小さいために大掛かりな装置はそぐわない。 これまでは村人が当番制で夜間にかき混ぜていたのだが、裸馬が支給されるようになってからは、専ら裸馬の仕事になった。 ウマは立ちながら眠り、また歩きながら眠るよう躾けられている。 昼間中太陽に焼かれてクタクタになった裸馬に与えられる休息は、この村では『棒を曳いてチーズを撹拌しながら眠る』というもの。 そんな酷な生活を強いられるせいか、この村を経て露馬になった牝は、折り紙付きのタフなウマとして活躍することで知られている。