第26話『だせるかな?』-4
だっせるっかな♪ だっせるっかな♪ さてさて、ふむ〜ん♪
だっいるっかな♪ だっせるっかな♪ さてさて、ほほ〜
『ふっ、んっ、ふぅんんんっ! フンヌゥゥゥゥゥンンンッ!』
……女性が息むたび、メリッ、ミチッ、ビチッ、ブチッ、膣の一部が断裂しつつ、スイカは外界に姿を現す。 やがて一際大きく女性が背を仰け反らせた時、ビタン、僅かに赤く染まったスイカが再び全貌を顕わした。 カメラが女性の膣全体を捉えた時、ほぼスイカそのままの穴が下半身一杯に広がっていた。 それはオマンコ全部が拡がった、とういレベルを超えている。 陰唇全部が穴というか、身体全体がオマンコというか……とにかく女性がオマンコの限界を超え、女性とオマンコが1つになった何よりの証拠だ。
膣からスイカにかけて、ネバネバしたマン汁が糸を引いている。 挿入されたものすべてを解き放った女性は、顔中(おそらくは身体中)を汗でベトベトにしながら、カメラに向かってニッコリほほ笑む。
だっ……せ〜るっ……か〜な〜♪
着ぐるみをつけ、立ったまま全てを出産した女性。 そんな女性の笑顔からズームアウトしつつ、『だせるかな♪』は終幕する。
……。
着ぐるみに入って登場する女性は、かつて『帝王切開』で出産を経験した女性たちだ。
改めて法律でもって人口統制、即ち出産管理をするにあたり、誰に出産を命じるかが問題になる。 初産婦よりは経産婦の方がリスクが少ない。 ゆえに経産婦で比較的若い女性に着床命令が出る傾向にあるのだが、中には初産を帝王切開で乗り越えた者もいる。 『母体への負担を減らす』『逆子、肥大性発達児、巨大児への対応』『産道を通過する体力のない新生児への補助』といった尤もらしい理由はいくらでもあげられるが、どんな理由があるにせよ、『帝王切開』は自然の摂理にそぐわない。 子孫に望まれる形質に『自然なお産ができる身体能力』が求められるとすれば、母体は何としても『ゼロ麻酔・ゼロ切開・自然分娩』を達成し、自分の遺伝子が『自然なお産ができる身体能力』を備えていることを証明する必要がある。 それでこそ、生まれた女児が、将来出産するときに理想的な自然分娩に取り組めるというものだ。 自分の親が『帝王切開』という安易安直な道を選んでおきながら、子供に自然分娩を求めるというのは、土台無法な話といえよう。
では、どうしても母体が出産の負担に耐えられず、帝王切開する必要が生じた場合はというと……その場合は出産の失敗もやむを得ないと考えるのも、選択肢の1つではなかろうか。 子供に異常があるならば、そのような遺伝子は後世に残すに値しない。 また母親が体力的に限界であれば、やはり同様の理由で、子供をつくるに値しないといえるだろう。 子々孫々の理想的形成に寄与する手法と考えるなら、自然分娩には生命を賭して拘りぬくだけの価値がある。 逆にいえば、帝王切開に頼る姿勢は安直そのものであり、人類にとって害悪だ。
ゆえに『出産指名』を受けた女性が『帝王切開経験者』であった場合、『はいるかな?』への強制的に出演させられる。 出産の準備を兼ねて出演前に膣を拡張し、過去のお産経験から生まれる子供の頭部を予想し、それに見合った異物挿入を全国中継することで得られる経験は、決して小さいものではない。
【『帝王切開』に頼らずとも、牝の孔がもつ柔軟性は、これだけの可能性を秘めている】
【かつて『帝王切開』に頼った女性でも、本来の膣性能を引き出していれば、自然分娩は充分可能だった】
【牝の孔は広がるために存在する】
【自分が将来出産するとして、さらに一回り大きく膣を広げられるように、今のうちから覚悟を決める】
こういった知見は本人のみならず、視聴者にも多かれ少なかれ伝播する。 様々な教訓を内包したショートプログラム『だせるかな?』……平均すると1日に3度ほど、『2ch』にて放映されているのだった。