おやすみなさい-3
「あっちには行っちゃいけない、ってさ。戦争の爪痕だからだって」
「そうなんですか」
「だけどさ、あそこの近くには綺麗な花とか一杯咲いてて、俺は好きだな」
私は、マサが見る方向を直視出来ませんでした。今にも崩れそうな小屋。それは今でも目を瞑れば浮かぶ忘れられない思い出だから。
「みっちゃんはいくつ?」
不意の問いに、私はうーんと思わず唸ってしまいました。今、此処にいる私の歳はすぐには出て来ず、私は一生懸命記憶を手探ります。
そう、確か今は終戦から2年。私が12歳だったでしょうか?
ラジオから聞こえる降伏宣言を周りで泣く沢山の大人達に紛れて意味もわからず聞いてから、2年。
私が前に暮らしていた街はどちらかというと都会な方で、あっさりと爆撃の標的にされてしまいました。けれど、人々の強さとは驚くべきもので、復興への意識はとても強く人々の目は、光に満ち溢れていました。
「みすず、ばぁちゃん家に行こう」
そんな中、終戦の5日前に帰ってきた父が真剣な表情で言いました。私ははい、ともいいえ、とも言えずただ父の戦争時に出来た傷を見つめていました。
元々体の弱かった母は、戦時中に父が看取れることなく永遠の眠りにつきました。復興の進む街で、父はきっと少しでも悲しい思い出から逃げたかったのだろうと思います。
「いいか?」
もう一度問われ、私はこくんと頷きました。父の芯の強い瞳に涙が浮かぶのを見たくなくて目を逸らすように、ただ頷きました。
「みっちゃんどうしたの?」
昔を思い返す私に、マサが訝しげな表情で下から見上げます。そこでやっと、年令のことを思い出し誤魔化し笑って「度忘れしちゃってました。12ですよ」と努めて明るい声で心配を掛けぬように答えました。
マサは歳に興味が失せたようで、今度は気になったことを次々と口早に聞いていきます。
「前はどこにいたの?」とか「ばぁちゃんとは前にも会ったの?」とか。私も調子よく答えていったのですが、一つの質問に対してはゆっくりと答えてしまいました。
「なんで、敬語使うの?」
その言葉に、私の生涯憧れの人だった母の背中が浮かびました。
「母の…亡くなったお母さんの影響です。言葉使いがとても上手な人だったから、私も上手くなりたくて真似してたら敬語だけ移っちゃいました。」
「へぇ〜」
「綺麗な人でした。笑った顔が大好きで、いつも笑って欲しくて変な顔して笑わせようと必死だったんですよ、私」
思わずペラペラと喋る私の話を、マサはにこにこ笑いながら聞いてくれました。
「みっちゃん、母ちゃん好きなんだね。俺も母ちゃんと父ちゃん大好き!」
そう言うマサの笑顔は眩しくて、私が今マサの境遇を知らない「私」だったら思わずマサの両親の所在を聞くところだったでしょう。