第4話『素人ドッキリマル秘報復』-7
打ち合わせに遅れること15分。 普段は温厚な取引先の化粧品会社開発主任が、今日はすこぶる機嫌が悪い。 遅刻した旨を謝罪し、新しい製品の説明に入ろうとした矢先、次長から手鏡を渡された。 首を傾げながら鏡を覗き、ギョッとする。 鏡に映った自分の唇は、赤いルージュでなぞったはずが、墨のように黒く染まっている。 これではお歯黒と変わらないではないか。 容儀にことのほかうるさい主任に対し、当該メーカーの化粧品をつけるべき営業職が、訳の分からない口紅をつけてやってくる――気分が良かろうはずがない。 『女のくせに口紅の色も気にならないの? そんなセンスであたし達にどんな提案が出来るっていうの?』『ただでさえ遅刻してるのに、女のくせに身だしなみ一つまともにできないなんて、やる気がないなら帰って頂戴』 営業職としては痛恨のミスに、女史Cは真っ青になって謝罪した。 ただ、既に主任は取りつく島もなく、今日の会合は終わりにしようといって席を立ってしまう。 遅刻と不作法という二重の落ち度の手前、女史Cには主任を引き留める気力はない。 本来2時間はかかるはずの打ち合わせがキャンセルになり、女史Cは途方にくれる。 すぐに会社に戻ってしまうと自分の失態が知れてしまうし、かといって他に用事もない。 女史Cはファーストフード店でコーヒーをちびちびのんで、たっぷり2時間を潰してから帰社した。
会社に戻った女史Cを待っていたのは、打ち合わせの顛末を気にする部長だった。 女史Cは言葉を濁し、また改めて話し合うことになったと誤魔化して自席に戻ろうとするも、部長についてくるよう制される。 連れて行かれた応接室には、先ほど話し合いをキャンセルされた営業先の開発総括が、仏頂面で座っていた。 これはマズい――と認識してもどうにもならない。 たまたま別件でやってきていた開発総括が、たまたま主任から連絡を受け、クレームをつけてきたという次第だった。 部長と共に、床の埃が髪につく勢いで女史Cは頭をさげた。 開発総括は呆れたように『黒の口紅なんて、使うにしても仮装でしょうが。 バカにするにしても、もう少し配慮していただきたい。 御社との取引は全面的に見直さざるを得ない』と捨て台詞を残して部屋を出た。
残された部長は、こめかみに青筋が浮いている。 『ちゃんと営業してきた風を装って騙したこと』に加え、『営業相手を怒らせたこと』は大きすぎる失態だ。 臨時の部会が開かれ、会社に残っている営業部全員が会議室に集められた。 部長から大口の取引先に対して女史Cが行った失態と、それに対する開発総括の言葉が部下全員に伝えられる。 営業部が一致団結して勝ち取った取引先が、こんなあっけなく瓦解したことに、誰もが言葉を無くしてしまう。 その場全員に睨まれる中、女史Cは同僚たちの足許で土下座した。 そうするより他なかったからだ。 ただ、部長はそれで許してはくれず、1人1人、営業部全員に誠意を見せろと冷たく言い放つ。 女史Cはその場にいる8人の同僚に、順番に足元に這ってゆくと、1人ずつ土下座して謝罪した。 『女だからっていい気なもんだ』『女なんて、泣いて謝れば許して貰えると思ってるんだろ』『所詮女は腰かけだろうが、こっちは真剣に仕事してんだよ。 クソ女が、恥を知れ』……何を言われても今の状況では言い返せない。 営業部の努力を知っている身としては、土下座した頭を爪先で蹴られたり、軽く後頭部を踏まれたりしても、黙って頭を下げ続けた。
当然、3枚目の始末書だ。 手を止めると涙が零てしまうから、ジッと、何も考えず定型文で始末書をつくる。 部長は本気で怒っているのだろう、出来た始末書を受け取ってくれず、特段の指導なしに黙って突き返される。 3度目に書き直したとき、呆れたように『みんなの意見を反映した文章になってない』と言われた。 仕方なく『女だからといい気になっていました』『泣いて謝れば許してもらえると高をくくっていました』『女なので、仕事はただの腰かけで、真剣に仕事をしていませんでした』『クソ女で恥を知らず、申し訳ありません』など、言われた言葉を始末書に反芻させて提出し、ようやく受け取ってもらうことが出来た。 ただ、これだけでは終わらない。 『この始末書を20部コピーし、営業部全員に渡してから、残部は営業部の目立つ場所に貼りなさい』 部長の命令に従い、自分で自分の恥を営業部全体に晒す作業は、女史Cの人生で最もミジメな作業といえよう。 入口、コピー機、給水所などよく使う場所を選び、女史Cは自分の始末書を貼っていったが、5枚を超えたところで膝が震えはじめ、キッと開いた目からは涙が一筋零れたのだった。