第22話 研修、家禽への対処-2
白米は炊き立てが、海苔は『焼き海苔』がそれぞれ用意されている。 塩は、というと、全裸で傍らに控えた『備品』の3名が、全身に淡々と肌を不自然に白く染めて傍らに控えていた。 3名とも、顔といわず股間と言わず塩を塗りたくられている。 部分によっては塩が肌から浸透圧で水分を吸っており、半透明にしけっている。 塩に水分を吸われる上に、初夏の日差しが浜辺に注ぎ、これでは脱水症にならない方がおかしいくらいだ。 そんな中でさえ、備品の少女たちは泣き言一つ言わず、いや、言わせてもらえず額から汗を滴らせている。
熱気によって絶え間なく流れる汗もまた、塩を供給する効率を高めるためのものだった。 3名は日差し避けも帽子も一切与えられず、炎天下に立ち尽くす。 事前に海水をしこたま飲まされており、流れる汗も、心なしかいつもよりしょっぱく感じられる。 指導員の合図で、身体を反らして『ブリッジ』を作る【2番】。 【22番】は片脚をあげて『Y字バランス』の体勢をとる。 【29番】は右手をあげつつ左手を下げ、共に輪を描くように曲げて『8の字』になった。 いわゆる『シェー』のスタイルだ。 どれも体表の面積を拡げ、専門生が塩をとりやすくする工夫といえよう。
すぐに専門生たちが群がり、少女の肌から塩を拭うと炊きたての白米を握りにかかった。 専門生たちは『どんな状況でも最善の料理を用意する』能力が求められる。 熱かろうとどうだろうと、白米を握る速度に遅れはない。 必然、彼女たちの手はあっという間に真っ赤になり、その掌を通じて伝わる熱は、塩を供する少女達をも火照らせた。
次々に出来上がるお握りの山。 ただし、出来る傍から指導員の指摘が相次ぎ、やれ大きさが小さいやら、形が歪やら、合格するお握りは皆無だ。 新しいおにぎりを作るたびに少女の肌から塩がはけてゆき、あっという間に地肌が剝きだしになった。 照りつける太陽がジリジリと肌色になった肌を焦がしてゆく。 胸も、尻も、お腹も、太腿も。 あっという間に肌色になり、20分もしないうちに塩が足りなくなった。 けれどもお握り作りは終わらない。 ゆえに、胸の谷間や脇に溜まった汗が、次の塩の供給源になった。 塩分濃度だけが問題なので、脇が汚いとか、そういった発想は当てはまらない。 中にはお尻の割れ目に滲んだ汗を指先で掬ったり、無遠慮に膣へ人差し指を捻じ込んで、膣壁が分泌する塩分を拭う専門生もいる。 少女たちは事前に徹底的にブラシングされ、身体中ピカピカに磨かれていた。 勿論、少女のためではなく、食器としての嗜みではあるが……そんな訳で、脇もお尻も手足も臍も、決してどこも汚くはない。
結局、一番たくさんおにぎりを作った生徒にしてから『12個』に過ぎず、専門生は誰一人『20個』のノルマはクリアできなかった。 呆れたように指導員は肩を竦めると、全員の額に『お灸』を据える。 もぐさを一つまみのせて、線香で火をつけ、ジリジリと肌をやく『躾』を旨としたお仕置きだ。 指導員が用意した『お灸』は約30分間持続し、1点を120℃近くまで熱し続ける。 その痛み、熱さたるや大概で、辛さをしっている専門生たちは、半ば絶望で呆然となる。 そんな生徒たちの様子には頓着せず、1列に並んだ専門生に順番に『お灸』を据えながら、指導員は明朝に再度『お握りつくり』にチャレンジして、そこでも成功できなければ追試をする旨を宣言した。 どんなトレーニングメニューであっても出来るまで終わらないという点では、『学園』も『専門学校』も違わなかった。
……。
早朝トレーニングが終わったのは『朝のつどい』の時間がきたためだった。 『夕べのつどい』と同様、施設利用者全員が参加を義務付けられるイベントである。 旗を掲げ、参加者が自己紹介し、全裸で体操の後散会となるのは、夕べの集いと同様だった。 その後は朝食で、自分たちが作った規格品のおにぎりと、施設のおかずでバランスがとれた食事をとったのち、朝の合宿メニューへと移る。 調理師養成の一貫として取り組む『家畜の解体』だ。 ただ、現代における『家畜』とは、豚であり、鶏であり……あらゆる一般食用種を含む。 そこには旧世紀の家畜の概念にはない生き物1種も属している。 このことは備品な立場の学園生徒達は当然のこと、知らされていない。
専門生たちは、屠殺場の代わりに、昨日使用した『野外調理場』に集合する。 はじめは『鶏』の解体だ。 ケージの中にはちょうど人数分だけ元気な鶏が用意されていて、各々ケージに入っては鶏を追いかける。 すでに専門学校で経験しているようで、専門生の動きにソツはない。 一方、備品を勤める少女たちには、大型のバッテリーを跨ぐように指示された。
バッテリーからは電極が2本伸びていた。 赤い方がプラスで黒がマイナスだ。 この電極を家畜の急所に繋いで通電し、痛みを感じる間も与えず気絶させる。 直後に動脈を切断して逆さに吊るすことで、家畜は抵抗する間もなく失血死に至る。 電圧をあげることによる感電死ではなく、確実な失血死を遂行するのは、旧世紀に宗教上の理由から失血死が尊ばれた名残りというよりは、どちらかというと血抜きによる鮮度の維持が目的といえた。