第四章 漂着した恋人-30
もちろんヒロインは愛梨だった。三人の奴隷の身分を更に窶しめたことが、むしろ愛梨の存在を神々しく、恋情に支えられた快楽を素晴らしいものに見せてくれていた。
早く、愛梨と愛を交わしたい。
二人の肉の間に避妊具があったって構わない。ここまで愛梨を恋しく思ったら、巡り会えた時の快楽は薄皮を突き破るほどのものかもしれない。万が一、突き破ってしまって愛梨の神秘の室に無礼な男汁が入り込んだとしても、きっと彼女は後光を輝かせて自分に微笑みかけてくれるにちがいない。
一週間が経った。
夢精も訪れなかった。
下半身が重く感じるほど鬱屈が溜まっていて、下着を履き替える時ですら、腰が震えて、ポタポタと雫を垂らし、膝が砕けた。
『夏は暑いけど、一番好きですっ。学校帰りとか、散歩がてらよく歩いてまーす。でもUV憎しっ。日傘必携ですな』
久しぶりに呟いた愛梨の言葉に誘われるように外に出た。だが緩んだ体はすぐに悲鳴を上げた。汗はすぐにシャツが貼り付くほど背中を蒸し、日射しを直に受けた頭皮からタラタラと流れ落ちてくる。外に出たことを後悔したが、部屋に一人でいるよりも、きっと股間の豪波が凪いでくれるだろうと信じて足を進めた。
冷房の効いた電車に乗ってホッとしていると、周囲の客が、自分のニオイなのか湿り気なのかを嫌がって距離を取っているのがわかった。その分空調機からの風を遮断なく浴びることができるから、むしろ好都合だ。
だが降りて再び歩き始めると、すぐに汗がまた噴き出してくる。どこにハンカチがあるのか見つけられないから持ってきていない。そもそもそんな物、あの部屋には存在しないかもしれない。袖で汗を拭いつつ階段を昇り切ると河川敷に出た。
水面が揺れる涼感は冷房と違って、大して労ってはくれなかった。
野球少年が練習をし、老人が犬を散歩し、自転車が遊歩道を行き交っている。少し歩いた所に児童公園があり、この暑い中でも子供達が歓声を上げて遊んでいた。
空いていたベンチに息をついて座ると、少し離れ木陰でお喋りをしていた母親たちが、訝しげにこちらを伺い始めた。
(そんな見んなよ……何もしねぇよ)
怪しむ視線を避けるように川面や鉄橋に目を向けた。
川沿いの小路を歩く白い影。こちらへ向かってくる。
「……」
日傘を差しているから顔は見えないが、涼しげで清純なワンピースが華奢な足を踏み出すとヒラリと揺れている。オフスリーブから伸びる二の腕が麗しい。そして機嫌がいい時には決まって肩を左右に揺らす、あの歩き方……。
疲労を物ともせず、躓きながらも土手を駆け上った。
突如近づいてくる人影に驚いた愛梨は、足を止めて一歩後ずさった。
「愛梨っ……!」
「え……あっ!」
コーヒーショップで声をかけられたことを思い出したのだろう、目が合うとすぐに眉間を寄せた。もう一歩後ずさる。
「お、俺だよっ! 愛梨っ!」
だが、愛梨は首を振りながら、
「だ、だから、何なんですか、あなた……」
「俺だよっ、俺なんだよっ、愛梨っ!」
大声を上げると、野球少年がキャッチボールをやめ、犬は耳を立てて不穏を窺い、自転車が軋んだブレーキ音を立てた。
愛梨は怯えた表情でゴクリと喉を動かし、緊張による口の渇きを癒している。
「あの、すみません。ほ、ほんと、こ、怖い……、ので」
愛梨は顔を伏せ、傍を過ぎ去ろうとした。
すれ違い様に鼻先を擽る懐かしい匂い。
どうすれば自分のことを分からせてやることができるだろう?
愛梨は早歩きで遠ざかっていく。駆け出すなんてはしたない真似はしない。後ろ姿の日傘では顔は見えない。だが風がワンピースの裾をさらって、彼女がそうそう人には見せない太ももの裏側が垣間見えた。あの美しい流線を上へと遡ったなら……最奥地には俺しか知らない秘密の場所がある。
その場所は俺だけのものだ。
ずっと。どうなっても。
ビクビクッ、……ビクビクッと股間が暴れ回った。知らない間に一歩踏み出していた。二歩目からは駆け足になって愛梨を追っていた。
(そうか……、そうなのか)
やめろ、という言葉は、口からも心の中でも出なかった。
次なる事態の進展を導く鍵は、愛梨だったのだ。そんな悲劇があっていいものだろうか。しかし、あのスカートへ向かって、いの一番に突進しようとするこの男茎が、残酷な現実を物語っている。
「やっ……きゃぁっ!」
迫る駆足を聞いた愛梨は蒼白となって、はしたなさも気にせず駆け出した。「助けてぇっ!!」
踵のあるサンダル履きが愛梨の全速力を妨げていた。階段を下りてくる若い女の只事のなさに、誰か、と犬連れの老人が叫んだ。その声を聞いた野球コーチが立ち上がった場所は遠かった。
「助けてくださいっ!」
公園に逃げ込んだ愛梨が主婦たち向かって大声で言うと、一斉に悲鳴が上がった。追いかける途中でズボンから男茎を放り出していた。走るのに合わせて亀頭が大きく揺れていた。