第四章 漂着した恋人-13
聞けば須賀も保彦の大学の卒業生だった。議論の方向を『取引』へ持っていくために、センパイとのあれやこれやの頭脳戦を楽しみにしていたのに、何の張り合いもなく須賀が内ポケットに手を入れたものだから拍子抜けしてしまった。
「……いくら、欲しい?」
「いや、そんな。金をくれなんて言ってませんよ」
「だけどさっき金に困ってるって言ったじゃないかっ!」
憤怒に財布をテーブルに叩きつけてしまって、また注目を集めている。即ギレするところを見ると、ずっと土橋の上司としてイライラを貯めてたんだなぁ、と思いつつ、
「金じゃないんですよ。ちょっと須賀さんに見てもらいたいものがありましてね」
――真璃沙が愛梨の幼馴染だと知って、すぐに会いに行ってはいけなかった。時期尚早だったのだ。愛梨を、そして土橋を引き寄せる何かが、まだ何か控えているに違いないのだ。
だが大人しく待っているつもりはない。待っていたくはない。
土橋の名義で消費者金融の限度額まで金を借りた。予想通り大して借りられなかったから、クレジットカードのショッピング枠も換金し、挙句には怪しげな金融業者からも融資をしてもらった。
事態の進展を早める必要がある。
ファミリースイートは禁煙だったが、保彦はベッドを降りると、ティーセットにあるカップの一つを灰皿代わりに、汐里にズリ下げられていたズボンのポケットからタバコを取り出して火をつけた。吐き出した煙の向こうでは、OLスタイルのプロポーズ相手の両肩をベッドに押し付け、全裸で腰を振っている須賀の後ろ姿が見えた。
「くそっ! 馬鹿にしやがって……! 他の男に生でさせてたビッチがっ!」
頻りに恨み言を叫んでいる。
(あん時の顔は最高だったなぁ……)
出会った時に一目惚れし、他の男の恋人である間もずっと思いを寄せ、やっと恋人にすることができた女が、金のために卑俗なアルバイトをして不特定多数の男に肌身を晒していた証拠を見せられて、須賀は言葉を失っていた。
次に、宣誓動画。
脚を開いて男茎に花唇を叩かれて、挿入をジラされたら、ハッキリと「奴隷になる」と言った汐里。
蒼白かった須賀の顔は赤く燃える怒りの形相に変わった。それは土橋に向けられた怒りではなかった。彼の股間を見ると、喫茶店の中にもかかわらずズボンの前をいっぱいに尖らせ、恋人の名を怨みの篭った声で呟いていた。
「おらっ! もっとヨガれよっ。俺の……、俺のでもヨガれるだろっ!」
保彦にホテルに呼ばれた須賀は、まだ心のどこかでは、フィクション、何らかの幻影とでも思っていたのだろうか、肚の底からは信じることができていないようだった。
恥戯が始まるまで別の部屋で待機して、目隠しをした汐里がベッドで四つん這いになると、保彦が送ったメッセージを受けて音を立てないようにして部屋に入ってきた。いきなり恋人が勃起しきった土橋の男茎へ唇をつけ、恥垢を食んでいるところを目撃した。
興奮した汐里には聞こえない呻きを上げ、糸を引いた嘔吐をカーペットの上に垂らし――顔を上げた時に形相が変わった。
汐里が土橋に言われるままに淫らな言葉を口にして、尿水を撒き散らし絶頂を繰り返すとともに吐き気が収まり、代わりに満腔の憤怒を肉棒に溜め込んだ、服を脱いでベッドへ登ってきたのだった。
「……な、なにを食べてたんだ、お前っ! ションベン漏らしてイキまくりやがって……!」
裏切りの恋人を叩き壊すつもりで力いっぱい腰を打ち付けるから、須賀の心情を表したようなグパッという耳を疑る音が立った。「くそぉっ……おらっ!」
須賀の背中が影になって汐里の顔は見えない。声も聞こえない。
絶望してしまったのだろうか……。
「……け、結婚するぞ、汐里っ。お、お前は俺が一生飼ってやるっ。……くそぉっ、ちくしょぉっ!!」
コイツの世話はなかなか難しいぜ? お前にできるかなぁ。
背中で須賀の涙声を聞きながら、保彦はソファの方へ近づいていった。
汐里が土橋の恥垢を舐め取り始めた時、声を上げたのは涼子だった。
悍ましい行為を嫌忌したのではない。寝室のドアが開いて静かに男が入ってきたからだ。その顔を見て慌てて前屈みに俯いた。顔を隠したのだ。名は知らないが、社内で見かけたことがある男だった。
だが男は、涼子たちには目もくれず、ベッドの上の淫戯へと導かれていった。
土橋の最初の相手を選ぼうとした時、自分が上がって胸に痛みが走った。最初の犠牲者になる……。その恐怖に戦慄したのだと思っていた。
しかし汐里に突き飛ばされ、彼女が土橋に絡みつき始めた。目の前で濃厚なキスを交わす二人。下肢に押し付けられている下着の尖り。
選ばれなかったことを残念に思っている自分を認めざるをえなかった。