第一章 脅迫されたOL-24
上野で土橋が保彦の自宅を突き止めるのは困難だと判断した。だがひょっとしたら、何らかの方法で保彦の住所に辿り着くことができたのかもしれない。昨日土橋は自分の部屋に帰ってこなかったのだから、その可能性は充分にあると思い直された。
時間はかかったが、午前中に着くことができた。住宅街の中に建つ賃貸ワンルーム。自部屋の前まで行きたいが、オートロックがあるから、キーに付属したICが無ければ開けることはできない。部屋番号を押してチャイムを鳴らしたが何の返事もなかった。再度携帯から自分の番号へかけたが無応答だった。
出かけているのだろうか。保彦と同じように、土橋だって腹が減るから食料の調達もするはずだ。待ってみよう。
刑事ドラマならば張り込み先のアジトの前には都合よく喫茶店などあるものだが、保彦のマンションの周辺は住宅ばかりだった。仕方なく保彦は少し離れた場所にある電柱の陰に立った。
かつ、ドラマならすぐにシーンが切り替わって、早速張り込み先に変化が起こるものだ。だが一人暮らしの学生、社会人ばかりが住むマンションは、こんな平日の昼間に出入りする者は皆無で、何の変化も見られないまま時間が過ぎていった。時折スマホの画面に目を落とし、呟きアプリの変化を確認し、溜息をついて顔を上げる。それを繰り返しつつ、エントランスに誰かが現れるのを見過ごすまいと張り込みを続けていたが、早くも中年の体が疲れてきた。一体どれくらいの時間が過ぎたのだろうと時間を確認すると、まだやっと一時間が過ぎたところだった。
電柱に隠れるように立つ中年男を、買い物や犬の散歩に向かう人々が訝しげに見てくる。確かに土橋のような男がスマホを片手に、物陰で一時間近く立ち尽くしてマンションを見張る姿は不審極まりない。
もしかしたら、土橋もまた昼間は行動を起こし、外に出て自分の体を探しているのかもしれない。朝からここにやってきたのは間違いで、来るなら夜にすべきだったか。
だったら自分の家に真っ先に行けよ馬鹿。
そう思った時、二人の警官が自転車で保彦の前を通り過ぎていった。二人とも保彦の姿を一瞥してペダルを漕ぐ足を緩めかけたが、年長の方の警官が思い直してペダルを踏み直したから若い警官も後に従った。
ホッとした。一応ビジネスバッグを持ち、スーツ姿であったことが幸いして、ギリギリセーフだったようだ。
安堵した目線を警官が去っていった先へ向けると、もう随分先まで行っていたが、突き当たりのT字路の所で戸建から出てきた老婆らしき者が二人を呼び止めているのが見えた。
若い警官がこちらを振り返る。
(マズい)
職務質問をされた時の、もっともらしい嘘を考えていない。
保彦は反射的に警官たちとは逆方向に歩き始めると、駆け足にならないように注意して、かつ遠目だから分からないだろうと、してもいない腕時計をチラリと見て、鳴ってもいないスマホを耳に当て、何か業務的な連絡を取り合っているような素振りを見せて立ち去った。
その甲斐があったのか分からないが、警官たちは追いかけては来なかった。
どこかで時間を潰してからもう一度戻ろうかとも考えたが、やはり真昼間から張り込みをするのは無駄であるように思われた。探すならもっと別のところにするべきだ。作戦ミスを認め、都心に戻ることにした。
徒労に終わった西武線の中で考える。
土橋を探すことは探す。だが彼が土橋の家にも保彦の家にも現れないとあっては、都内を闇雲に探していては到底見つけられないだろう。
他に手がかりはあるか? ――あるではないか。
保彦の苛立ちは、子供や、呟きSNSの相互承認や、無駄足に対するものだけではなく、あとひとつ、もっと現実的な苦難に直面していることからもきていた。
池袋を過ぎて新宿まで行った。改札機に定期を当てると、チャージ残高が百円を切った。往路で確認していたから分かっていたことだ。財布の中には小銭しかない。
つまり資金不足に陥ったのだ。
とにかく当面の資金が必要だ。クレジットカードはあるが、あの土橋の生活だ、ライブチャットにも大層つぎ込んでいたし、休職中では身入りも心配で、どれだけの枠が残されているのか知れたものではない。
多くの人が行き交う新宿の街を歩き、あの日、面接を受けに来るはずだった高層総合ビルについた。オフィスフロア用の入口を一歩入ると、外の喧騒から一転、エントランスホールは気取った静けさに包まれた。
左右に設置されたエレベーターは高層階行きと低層階行きに分かれていた。仁王像のように挟んで立つ警備員が自分の様子を伺っている。
今度は不審者と見なされないように、荒れた部屋から漸く見つけた、汐里の動画を撮った時に首に掛けさせたものと同じデザインの社員証を鞄から取り出して首から提げてみせると、門番の警戒の目が解かれた。