ファンニ-6
ファンニの一件とは関わりなく、僕もフェンシング部を辞めざるを得なくなった。フレデリーケのクラスが修学旅行で日本に行くことに決まり、予期せぬ副業が始まったからだ。僕が日本人だという理由から、講師に呼ばれることになったのだった。
これには悪戦苦闘した。しかし、担任の先生が親切に指導してくれたため、やがて生徒の前に立つことが楽しくなっていった。教師になることを再び僕は漠然と考えはじめた。先生の紹介してくれた教授法のゼミナールに夜は通った。
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