自由-1
「この部屋を使ってくれ。祖母と妹しかいないから、部屋は空いてる。あ、妹だ。よろしく。名前はフレデリーケ。」
「Saluton! Tre agrable.」
「あれ? エスペラント?」
「何を今更。うちの家族はみんな話せるよ。」
「なんだ、ああ、気が楽になった。Frederike, mi nomiĝas Makoto.」
ビクトルの言った通り、僕は一人でここに来た。イーラは母親といることを選んだのだった。
「お兄ちゃん、ごめんなさい!ごめんなさい!」
日本人の男の前で泣き崩れるイーラの姿を、母親とその夫は異様に思っていたと、後でイザベルの両親が教えてくれた。シャルトルの大聖堂が、初めて来たのに懐かしく感じられた。
三年したら日本に戻るとイーラは言った。ママとの時間は欲しいけれど、あたしのうちは日本だからとも言った。
「そう言えば、あのときどこにいたの?」
大聖堂でイーラたちと別れるまで、ビクトルが姿を消していたことを思い出した。
「街で観光。」
「まあ、いいけど。」
「あの大聖堂は訳ありで緊張するんだ。」
「変わってるね。」
そのとき、大きなペルシャ猫が箪笥の上から僕の肩に飛びついてきた。
「Viktor, Makoto plaĉas al Tigrenjo! Tio okazas tre malofte, ĉu ne?」
ティグレーニョと呼ばれたこの猫は、人に懐かないらしく、ビクトルの妹は大層驚いた。
「Li amas ĉiun beston kaj bestoj scias ĝin.」
ビクトルが僕の動物好きを説明すると、妹もすっかり僕に懐いてしまった。
ビクトルのお婆さんは、太った気さくな人だった。料理が上手だった。久しぶりの孫との再会を喜び、僕に対しても、孫のように分け隔てなくしてくれた。
ビクトルは家族のことをあまり話さない。けれど、食事の席で、皆に分からないよう日本語で僕だけに言った。
「妹には少し病気がある。細いだろう? まだ子供だからいいが、女性機能が発達してこないかもしれないと医者に言われた。なんとか症候群に似ているそうだ。計算なんかもできない。まあ、その代わりなのか、勘のいいところはあるけれど。だから、かわいがってやりたくてね。誠くんも、甘えさせてやってくれ。」
「Ne krokodilu !」
フレデリーケが遮った。僕たちは笑ってエスペラントに戻した。