ラサとビクトル-6
「きゃっ!」
下を見たラサの目が眩んだ。落下しそうな恐怖に体の感覚がなくなり、思わず失禁した。そして実際、二人は下降し始めた。落下の速度は速くなる一方だった。もっとも、互いの距離は変わらず、言わば最速のジェットコースターに、向かい合って座っている具合である。
股から水を散らしながら、ラサは大声で喚き続けた。正座の姿勢で落下するビクトルが威を帯びて叱咤した。
「ラサ、ドンブロフスキーさんは、日本支部のMeister von unserer Gemeinschaft der geistigen Brüderlichkeit だ。そして、den anderen höheren Meistern ohne Körper に
仕えている。日本までわざわざ呼ばれたからには、こんな暮らし方をしていないで、自分を高める努力をしたらどうだ!」
ビクトルの言葉はラサの耳に届いてはいたが、落下の恐怖にとらわれて、答えるどころではなかった。しかも、ノイズのように入ったドイツ語のせいで、ラサには意味が分からなかった。
「ビクトル、お願い、助けて!」
ついに大便まで出してしまって、ラサは気を失った。
その時、雷鳴のような声が空に響いた。
「人間の自由に干渉してはいけない。ただ見守り、整えよ。」
声がやんだら周囲は元のままだった。
座ったビクトルの前にラサが倒れて気絶していた。女の恥の全てを隠さず晒しているラサを見たビクトルは、声の後では、ここにも真理があるような気がしていた。
「妙適清浄句是菩薩位。」
ビクトルは、自分の手で汚物を拭き取り、片付けてやってから、隣の部屋にラサを連れていった。
しかし、翌朝ラサが目を覚ますと、そこは自分の部屋だった。居酒屋から出て、ビクトルに突き飛ばされたあと、そのまま帰った記憶があった。そんな自分が情けなく、また誠のいない淋しさをラサは酷く感じた。このままではいけない。なんでもいい、なんでもいいから、何か一歩を踏み出さなければと、心の芯からラサは思った。