前日、車内-2
記事に一通り目を通すと理恵は小さくため息をついた。
…嫌な世の中ですね。
…きっと世界一治安が良いなんて上っ面だけなのよ…この街は。理恵ちゃんも気を付けてね。
…黒部さんもね。
…あらやだ。アタシなんてもう34よ?こんなオバサン襲う人間いないわよ。独身だけどぉ。
…うっそぉ?
理恵の中で、この黒部茉莉子という人はせいぜい2年か3年くらいのすごく面倒見の良い先輩だと思っていた。メイクといい、スタイルといい、スーツの着こなし、センスなども完全に20代後半だ。それがまるで違和感のない、完璧な仕上がりなのだ。
…そんなびっくりしないでよ。若く見られすぎるのも嫌なのよ。仕事柄、年相応に見られたいの、できれば。
…ごめんなさい…
急に自分の人を見る力のなさに恥ずかしさを感じて下を向いてしまう。
…大丈夫よっ!ところで今日経理でね、営業企画部の泊さんがクシャミをした瞬間ね、差し歯が飛んでね…
…えぇー泊部長差し歯なんてあるんですかぁ!?
… それがコピー機の下に入っちゃってさぁ、みんなで持ち上げて回収しようとしたのに誰も差し歯取ろうとしないの。誰が触るかって。泊さんデブだから腕入らないから困って困って…
“まもなく、逗子、逗子。お出口は右側です。電車とホームの間が開いて…”
…あ、じゃアタシ降りるね。
黒部は立ち上がるとカバンからイヤホンを取り出し、ずっと握っていたスマホにつないだ。手首から先で小さく手を振る。
…ありがとうございます、お疲れ様でした…
小さく頭を下げた。黒部が去ったあと、きっぷを見直した。券面は横須賀までになっている。
…田浦で良いんだよね…ぶっちゃけ…
一人、頬杖のまま、真っ暗な車窓を眺めていた。
“まもなく、田浦、田浦。お出口は左側です。電車とホームの間が…”
…あっ…降りなきゃ…
列車から降りると、改札を抜け、自宅への道を急いだ。どうにもあの記事が気になったのだ。