第6話 愛欲に溺れて-1
同じ頃、とあるホテルの一室。
横長のソファーには三十半ばくらいの男が座り、目の前のテーブルに置いてある一枚の書類の様な物に、ボールペンで書き込んでいた。
出で立ちは、白いポロシャツにベージュのチノパンを履いた、落ち着いた雰囲気の男だった。
「ここに判を押せば良いんですよね?」
「ええ・・・・・」
男が話し掛ける視線の先には、大きなダブルベッドに座る一人の女が居た。
見た目は、男よりも一回りも上くらいの、四十半ばくらいの女だった。
薄いピンクのタイトスカートに、同色のジャケットを羽織った、営業スタイルの様な格好でもあった。
「これで契約が成立しましたね」
男はニヤ付いた表情で、書類の様な物に印鑑で判を押しながら、女に話し掛けた。
「ありがとうございます」
女は、男に軽く会釈をしながら礼を述べた。
すると、男は立ち上がり、女の座るダブルベッドの方に向かった。
そのまま、ダブルベッドの頭の方にあるスイッチを操作すると、部屋の照明を薄暗く調整した。
この様な設備が整っている所からも分かる通りに、ここはラブホテルであり、男女が一線を越える場でもあった。
男はその一線を越えようと、女の右隣りに座った。
「日曜日の真昼間から、こんな所に呼び出してすみませんね。何せ所帯持ちですから、時間を作るのも大変なんですよ」
男は相変わらずニヤ付いた表情で、女の身体を舐め回す様に見ながら話した。
「こちらこそ、当社のプランに契約をして頂き、厚くお礼を申し上げます」
女は視線を合わせようとはせずに、正面を向いたまま、覇気の無い表情で答えた。
「それじゃあ、約束通り良いんですよね?」
男はそう言いながら、女の履いているタイトスカートをたくし上げて、ベージュのパンストを履いている太ももの内側を摩っていた。
それに対して女は、相変わらず覇気の無い表情のままで黙って頷いた。
それが、男の言葉に同意した、女の意思表示だった。
男はそれを認識すると、女に口づけを交わして、そのままベッドに押し倒していた。
その日の夕方。
拓斗は、グレーのスウェットスーツの姿で、ダイニングルームのソファーに寝そべりテレビを観ていた。
住まいは2LDKのアパートだが、拓斗以外は人気は見当たらなかった。
ガチャガチャ・・・・・・。
しばらくすると、玄関の扉の鍵を開ける音が聞こえてきた。
「ただいま・・・・・・」
声と同時に扉が開き、左手にレジ袋とショルダーバックを背負った女が入ってきた。
その出で立ちは、薄いピンクのタイトスカートと、同色のジャケットを羽織った営業スタイルで、正しくラブホテルで男と一緒に過ごした女だった。
名は三浦景子と言い、拓斗の母親でもあった。
歳は45だが、薄い顔立ちは化粧映えもして、年増独特の艶があった。
身体も細身の体型で拓斗と同じだが、背丈が低いのは真逆だった。
拓斗が高身長なのは父親似だったが、小さい頃に離婚して生き別れていた。
景子が女手一つで、ここまで拓斗を育ててきたのだ。
ただ、その生活は決して楽では無く、高給取りでもある保険外交員の仕事で何とか生計を立てていた。
さらに、景子の勤める会社はノルマに厳しく、社員に無理を言わせるほどのブラック企業でもあった。
ならば、景子の様な枕営業をする社員も少なからず居ったが、ノルマ達成の為なら会社側は見て見ぬふりをしていた。
もっとも景子の場合は、入社してから10年以上も続けてきたが、いい加減嫌気もさしていた。
理由の一つには、当然ながら人として道徳に反した生き方だが、もう一つ決定的なのは、息子の拓斗が社会人として自立した事だった。
同居はしていても、ある程度の生活費を納めてもらい、幾分は楽になっていたからだ。
ただ、学歴社会が浸透する近年において、大学にも進学させずに高卒で職に就かせた事には、少し後ろめたさもあった。
「もう・・・また一日中家でゴロゴロしてたの?」
景子はダイニングルームに入るなり、ソファーに寝転がる拓斗の姿を見て話し掛けた。
拓斗のスウェットスーツ姿と、普段の私生活を考えれば、景子の言葉に信憑性はあった。
「ああ・・・・・」
拓斗は景子の方を振り向こうとはせずに、テレビを観ながら素気ない返事で返した。
職場と違い、肉親でもある景子に対しては横柄な態度を見せた。
「せっかくの日曜日なのにもったいない。誰か一緒に出掛けるお友達は居ないの?」
景子はレジ袋を流し台の上に置くと、中に入ってる食材を冷蔵庫に入れながら話した。
「いちいちうるせ〜な〜・・・休みくらい、どう過ごそうか俺の勝手だろ?」
景子の言葉に、少し怒った様子を見せた拓斗は、テレビの電源を消して自室へと向かった。
「ちょっと・・・もうすぐ夕飯なのに・・・・・・」
拓斗に対して話したつもりだったが、まるで景子の独り言の様になっていた。
景子は、食材を全て冷蔵庫に仕舞うと、夕飯の支度に取り掛かる為に寝室で着替えていた。
ジャケットとスカートはすでに脱いでおり、白のブラウスの第二ボタンを外す所だった。
ピンクのマニキュアが塗られた指先で、丁寧に全てを外すと、ブラウスをダブルベッドの上に脱ぎ捨てた。
光沢のある紫のブラジャーとショーツに、ベージュのパンストだけを履いた姿になる景子。
そのパンストとショーツを履いた下半身に目を向ければ、男の愛欲によって染み渡るほどに濡らされた痕跡が残っていた。
景子は、それを感傷深げに眺めると、ダブルベッドの上に腰を掛けて物思いに深けた。