想い出のアルバム-1
(1)
幼い頃の私の記憶に勲叔父さんの影はない。その姿が脳裏に現われるのは中学3年の春からである。
叔父さんは父の弟で、大学を出ると商社に就職した。英語が得意で、外国で仕事をするのが憧れだったらしい。入社1年後には海外勤務を命ぜられ、アメリカやヨーロッパを飛び回っていたというのだから有能だったのだろう。数年間は帰国する余裕もなかったほど忙しかったようだ。
「日本語を忘れてしまうんじゃないかと思うくらい滅多に帰ってこなかったな」
いつか父が言っていたことがある。
父と母の結婚式の写真には叔父さんの姿がある。休暇をとって帰国したのはその時が初めてだったという。父よりもがっしりした体格である。その大きな体に抱かれた2歳頃の私の写真が数枚あるが、憶えていない。
叔父さんが国内勤務に戻ったのは病気が理由であったと聞いている。詳しくはわからないが、長年の第一線での無理がたたった心の病だったらしい。
帰国してひと月ほど休暇をもらって我が家で過ごした。それが中3の春のことだ。
私の家は父の実家で、つまり叔父さんにとっても生まれ育った家である。祖父母は別棟で暮らしている。とても元気で2人ともサークル活動もしていて食事も別だからふだん接触することもあまりない。
2階には叔父さんの部屋もあり、ベッドや衣類、本など昔のままに残っていた。
まだ低学年の頃、私はときおりその部屋に行って難しい本の背表紙を意味もなく眺めたり、ベッドに寝転がってみたりしたものだ。たまに母が換気をしたり掃除もしていたが、表現し難い独特のにおいが染みついていた。その部屋は誰もいなにのに、『誰かがいる……』そんな気配を感じる不思議な場所であった。
「真弓ちゃんだね。大きくなったね。何年生だっけ?」
写真の記憶しかない勲叔父さんは少し痩せていた。
「中3……」
私は何だか恥ずかしくて俯きながら答えた。
「もう中学生ですよ。来年は高校受験。真弓、叔父さんに英語を教わるといいわ」
母の言葉に私はただ笑って、上目使いで叔父さんを見つめていた。あの部屋のにおいが漂ってくるような気がしていた。
「ぼくのこと、憶えてる?」
なんと返事をしていいかわからず、首をかしげるしかなかった。
「無理ないよね、赤ちゃんの時以来だもんね」
「2歳の時」
「2歳だっけ。憶えてるの?」
私は戸棚からアルバムを出して開いてみせた。
「ああ、思い出した。この時だね。写真撮ったんだな」
「真弓、よくこの写真みてたわね」
「そうか。この変な人誰だろうって?」
父も母も笑ったが、私は冗談と受け取れずに真面目な顔で頭を振った。
病気療養と聞かされていたが、私には叔父さんが病人には見えなかった。部屋に行くといつもやさしい笑顔で迎えてくれたし、なにより寝ていることがなかった。
(元気じゃん……)
病気といえば寝ているもの。子供の私にはその種の病が理解できなかったのである。
叔父さんは日に日に快復していったようだ。
「体も気持ちも軽くなったみたいだ」
本人もそう言っていたし、
「結局、仕事のストレスだったんだな」
両親もほっとしていた。