第十一章-1
第十一章
十一月二十日、日曜日、合唱部の強化練習が行われ、北原泉美もこれに顔を見せた。そして以前どおりに屈託なく明るく振る舞った。また合唱部のメンバーも、十五日の事件や、泉美に保護観察がついていることを知らないから、まったく以前と同じように接した。何もかもが今までどおりだった。私はこの光景を見て、ほっとひと安心した。
(すべて元に戻ったわ。数学のお勉強も、すぐには無理にしても、いずれ再開できる)
そんなふうに思えた。
練習が終わって、みんなで近くのレストランへ夕食を食べに行こうということになった。泉美も行くことになったが、レストランに向かい始めたところ、
「私、ちょっと電話してから行くから、みんな先に行ってて」
と泉美が集団を離れた。私は少しも疑問には思わず、泉美は後から来るものと思って、みんなといっしょにレストランに入った。しかしいつまで経っても彼女は来なかった。
(いったいどうしたのかしら)
私がフォークで味噌汁をかき回したことを、向かいに座っていた北見美鈴がおもしろいと笑ったが、そんなことさえ上の空だった。とうとう最後まで泉美は姿を見せなかった。そしてそれが私と泉美との永遠の別れとなった。
翌二十一日、朝のホームルームで担任の鷺坂先生が淡々と言った。
「北原泉美さんは本校を退学して区立中学に転校しました」
「ええっ!」
生徒の間から驚きのどよめきが起こった。事情を知らないから突然の転校の理由がわからないのだろう。一方、事情を知っている私もまた別の意味で驚いた。
桃園女学院の自由放任の校風からすれば、保護観察がついたからと言って退学処分にするとは考えにくい。おそらく泉美は自分の意志で退学の道を選んだのだろう。昨日合唱部の強化練習に来たのも、それとなくみんなにお別れを言いに来たのかも知れない。
区立中学なら、あのあたりだと三林中学の校区だろう。いつか泉美の家を訪ねようと思いながら、私はなかなかその機会がなかった。
泉美からの服装指定もなくなった。それでも私は時々ノーパンで登校したりした。が、泉美の命令で強制的にショーツを脱がされているというのと、自分の意思で脱いでいるというのでは、まるで性的興奮の度合いが違い、快楽もあまり得られなかった。
十二月十日、私はついに三林の泉美のマンションを訪ねた。しかしそこはもう空室だった。ちょうど隣の部屋からおばさんが出て来たので私は尋ねてみた。
「あのう、北原さんは?」
「ああ、北原さんなら引っ越されましたよ。なんでもねえ、娘さんが非行に走って保護観察がついたらしくてね、このマンションにいられなくなって、夜逃げでもするかのように引っ越して行かれましたよ」
「そうなんですか。それで、引っ越し先は?」
「それは誰も知りませんわ」
「そうですか。ありがとうございました」
マンションを出て、ふと左手にごみ集積場が目についた。
(そう言えば、裸でここに一晩中放置されたこともあったっけ)
それも今となっては懐かしい思い出だった。
十六日、クラスの忘年会に誘われた。私は、
「それは忘年会なの、クリスマスコンパなの?」
と念を押して尋ねた。
「どうしてそんなことにこだわるの?」
「クリスマスコンパだったら参加したいけど、忘年会だったら絶対に行かないわ」
「どうして?」
「だって、今年はいい年だったから忘れたくないのよ。だから忘年会は出ないことにしてるの」
そして忘年会だったので私は出席を断った。
翌十七日、合唱部のクリスマスコンパがあった。こちらは正真正銘のクリスマスコンパだったので私は出ることにした。ここでは各自それぞれがプレゼントを用意することになっていた。
そこで私は古北の書店へ行って、安野光雅の小さな風景画集を買った。単なる画集ではなく、どの絵も裏面が葉書になっていて、切り離して絵葉書として使えるすぐれ物だった。そしてこの風景画集を包装してリボンを付けてもらった。