非常識な男-1
絵美はショックを受けていた。わかっていたことだが、現実として突きつけられると、さすがに堪える。
構えていたはずでも、その衝撃は緩和されるものでは無いのだと身に染みて思った。
先程までお見舞い来てくれていた同僚たちは、楽しさとありがたさを届けてくれた反面、悲しみも一緒に届けてくれた。
「わぁー絵美、元気!?」
最初に小走りで寄って来たのは、同期入社の由紀恵だった。
絵美は地元の信用金庫に勤めるOL。現在は、絵美の住む隣街(市)の支店に勤務している。由紀恵は、本店の窓口業務を担当しているが、同期ということもあり研修などでも顔を合わせることも多く、入社以来一番の仲良しであった。
由紀恵と一緒にお見舞いに来てくれたのは、支店の次長である浅賀と後輩の加奈子、前の支店で仲良かった後輩の裕香の4人。一番遠い裕香は3時間近く掛かってのお見舞いと聞いて、心底ありがたく嬉しかった。
絵美は、関節の病気で休職を余儀なくされている。地元の病院で手術が出来ず、中規模なこちらの病院で手術、入院加療することになった。
実家からでも1時間以上かかるため、気軽に見舞いに来てくれる者はほとんどいない。なので、見舞いに来るとすれば必然的に週末や休日になってしまう。両親や妹などは、時間をみて見舞いに来てはくれているが、友人などが訪ねてくれたのは入院後初めてのことだっただけに、嬉しさもひとしおだった。
カフェスペースに案内すると皆少し驚いた様子だった。
「最近の病院はこんな洒落たスペースがあるんだねぇ。昔は、病院と言えば暗いイメージしかなかったんだけど」
最年長の浅賀は、珍しそうに周りを眺めていた。
「こういう落ち着けるスペースがあると、入院していてもつまらなくないんじゃない?」
由紀恵は何年か前に、靭帯を痛めて入院したことがあった。
「ですよねぇ、毎日カフェでお茶して、三食昼寝付き。最高ですねぇ」
元来呑気な性格の加奈子らしい感想だ。
「加奈ちゃん。そう思うのは元気に働けているからだと思うよ。実際は、検査したり、処置をしてもらったり、痛いことも我慢しなければいけないし。これからはリハビリも始まるから、呑気に寝てばっかりはいられないのよ」
「そっかぁ、やっぱり入院するって大変なんですね」
最初は絵美の入院話を中心に、病院内での出来事を話したが、さっき出会った慶一郎のことは黙っていた。
「ねぇ、絵美は南部支店の唐川さんて知ってる?」
由紀恵がわけあり気な口調で聞いてきた。
「ああ、あの人ね」
「そうあの人」
意味深な会話ではあるが、唐川女史を知っている者であれば、『あの人』で通じてしまう。
唐川は、いくつかの社内恋愛を経験し浮名を流し続けた女性だ。中には不倫もあったので、行内ではちょっとした有名人でもあった。
「今度結婚するみたいよ。取引先の社長さんらしいのね。しかも年下なんだって。上手くやったわね」
「へぇ〜、彼女40超えてるでしょ。すごいね」
「おいおい、キワドイ話はやめてくれよぉ」
ここで相槌を打つと、行内での次長という管理する側に立つ浅賀としては、唐川女史の色々な噂話を肯定することにもなりかねない。
(私が休んでまだ1ヶ月ぐらいなのに、色々とあるのねぇ)
「そうだ、この前うちの支店に転勤してきた蓬田さん。ね、ね、憶えてる、絵美と同じ駅前支店で一緒だった人」
(ドキッ)
絵美は心臓が止まりそうになった。
憶えてるも何も、その名前を忘れるわけがない。誰にも教えていない内緒の話だが、半年前まで絵美が付き合っていた男だ。
「え、ええ。憶えているわ、あの真面目な人でしょ」
動揺を隠して答えた。
「そう、あの人も結婚するらしいよ」
絵美は、後頭部をハンマーで思いっきり叩かれたかのような強い衝撃を受けた。
3年前、絵美が駅前支店に勤務していた頃、新入行員として配属されたのが蓬田浩也(ヨモギダ ヒロヤ)だった。オープンに付き合うことが苦手だった絵美は、密かに蓬田との仲を育んでいた。恐らく二人の仲を知っているのは誰もいないはずだ。
「真面目は真面目だけど、世間知らずっていうか・・・、ちょっとズレてるところありますよね。なんていうんだろ、『それ違うだろ』みたいな」
一緒に働いていた裕香が呟いた。
その通りだった。彼の性格に関しては擁護するつもりはない。実際に色々と耳にすることがあるし、その通りのことがほとんどだからである。
蓬田浩也を一言で言い表すならば、『真面目』。そして、『世間知らず』になる。更に付き合っていた絵美だからこそ知っている『マザコン』。
ただ『マザコン』という言葉が適切かと言うと、そういうわけでもない。母親にべったりということではなく、母親に従順なんだと絵美は思っている。
意思決定は全て母親。日常生活における行動については、人並みに自分で決めてはいるが、それ以外のすべてのこと。例えば購入する洋服の色や形といったまあ許せる範疇の物から、出勤時間や乗るバスの時間など非常識なものに至るまで、そこに浩也の意思が介在するケースはほとんどない。
しかし、頭は良い。都内の有名大学を卒業し、期待の人材として入行したということも聞いていた。実際に仕事をしてみても、呑み込みが早く正確な仕事ぶりは数カ月で先輩行員を凌駕するほどであった。反面、コミュニケーションには難があった。最低限のやりとりや付き合いは出来るものの、臨機応変さや気の利いた行動などは全くと言っていいほど出来なかった。
だからこそ、裕香が言ったように『真面目だけど非常識』といった評価になる。