『月陽炎~真章・銀恋歌~』-42
43 夕食を終えた悠志郎が廊下に出ると、美月を看ていたはずの葉桐が沈痛な表情を浮かべて歩いてくるところだった。
美月に何かあったのでは……と考えた悠志郎は、慌てて葉桐へと駆け寄った。
『葉桐さん、どうしました?』
『あ……いえ……お医者様に、もう一度薬を頂きに行こうと思いまして……』
『しかし、夜道は女性に危険ですよ』
既に日は暮れてしまっているし、例の猟奇殺人の犯人も未だに捕まってはいないのだ。
だが、そんなことは承知の上だろう。
『……娘のためですから』
案の定、葉桐ははっきりと言い切った。
『場所を知っていれば代わりに行くこともできたのですが……』
『お心づかい、痛み入ります。では、急ぎますので』
白い封筒を抱えた葉桐はそう言って急ぎ足で玄関に向かったが、ふと何かを思い立ったように足を止め、悠志郎を振り返った。
『あの……もし……』
『はい?』
『……いえ、なんでもありません。失礼します』
その様子があまりにも不自然に見えて、悠志郎は思わず声を掛けた。
『葉桐さん。何か思うことがあるのでしたら……』
なんだか今日の葉桐はいつもと違うような気がする。
隠し事をしているというか、何か切迫した状況に脅えているかのようにも見えるのだが……。
『先を急ぎますから』
『葉桐さんっ!』
悠志郎の声に振り返ることなく、葉桐はそそくさと薄暗い玄関の方へ姿を消した。
よほど追い掛けようかと思ったが、引き止めて何を訊き出してよいのかすら分からない。
……くそっ!
昨夜の真との出会いに始まって、美月の発病、わけの分からない夢、明らかに妙な葉桐の言動。
自分のまわりで何かが起きているのは間違いないのだが、それが何なのかはひとつとして理解できずにいる。
悠志郎はそんな自分に苛立ちを感じていた。
床に映る月明りに夜空をふと見上げれば、今日も煌々と月が夜空を照らしている。
そんな月を眺めていると、少しずつ荒んだ心が和んでいくようであった。
……そうだ、美月を。
葉桐が出掛けたのなら、誰も側にいないことになる。
悠志郎は廊下を歩いて美月の部屋へと移動した。葉桐が戻るまでついていてやるべきだろう。
だが、部屋の前まで来ると、誰かが手拭いを絞る音が聞こえてくる。
鈴香だろうか……と思いながら障子を開けると……。
『柚鈴っ!?』
そこにいた人物を見て、悠志郎は思わず声を上げてしまった。
『きゃっ!……悠志郎さん、驚かさないでください』
いつ目覚めたのか、美月の枕元には柚鈴が座っていた。
葉桐が後を託したわけではないだろう。
柚鈴はこの部屋に近付かせないと言っていたはずだ。
『柚鈴……葉桐さんから言われませんでしたか?』
『はい……でも……そんなの納得がいきません』
『柚鈴にうつったらどうするのです?』
『構わないです……美月がよくなるなら、それでもいいです』
『困った子ですね、柚鈴は……』
悠志郎は溜め息をついた。
『いくら悠志郎さんがやめろと言っても、これだけは……聞けません』
柚鈴はそう言うと、口を結んで真剣な目で悠志郎を見つめた。
その様子を見る限り、何を言っても無駄だろう。
柚鈴の表情には不退転の覚悟が浮かんでいる。
『……分かりました。ただし、柚鈴がもし病気になったとしたら、私は柚鈴がいくら離れてと言っても聞きませんからね。覚悟しておいてください』
『悠志郎さん……ありがとうっ』
……仕方がない。
自分が葉桐に怒られて済むならそうしよう、と悠志郎も覚悟を決めて畳の上に腰を降ろした。
それ以外に、この頑固な少女を納得させる方法を思いつかなかったのだ。
うとうとしていた悠志郎は、ひんやりとした夜風にはっと目を覚ました。
美月の側でずっと柚鈴と話をしていたのだが、いつの間にかまどろんでいたらしい。
時計を見ると、既に夜の十一時をまわっている。
美月の容体が安定したままなので、少し気が緩んでしまったのだろう。
柚鈴も床へころんと転がって居眠りをしていた。
……このままでは風邪をひいてしまうな。
そう考えて毛布でも持ってこようと障子を開けた時……。