『月陽炎~真章・銀恋歌~』-40
41 『でも、きっと美月はそんなふうには思っていませんよ』
『だって……だってぇっ……ひっく……私……私ぃっ……』
『柚鈴の美味しい料理を食べさせてあげたり、鈴香さんの小言から助けてあげたり……。宿題とかも、こっそり手伝ってあげたことあるんでしょう?』
『うんっ……あるけど……でもっ……』
柚鈴はしゃくり上げながら、悠志郎を見上げた。
『それでいいんです。自分のできることを、誰かのために心を込めてやるだけで。だから、そんなふうに自分を責めるのはやめましょう。そして、自分を思ってくれてる人のことをよく考えないと』
『えっ……?』
『葉桐さんも鈴香さんも、柚鈴のことを心配していますよ。だから、次に葉桐さんが来たらあとは任せましょう。いいですね……?』
『う、うん……ごめん……なさい……。で、でも……』
柚鈴は躊躇うように言葉を濁す。
彼女が何を言いたいのかを察して、悠志郎は優しく微笑み返した。
『この部屋にいたいのなら、私からもお願いしてあげますから』
『ありがとう……悠志郎さんっ……』
柚鈴はそう言って悠志郎の胸に顔を埋めてきた。悠志郎は、そんな柚鈴の髪を何度も優しく撫でてやる。
ずっと寝ていなかったせいか、それとも泣き疲れたのか……。
やがて、小さな寝息が聞こえ始めた。
悠志郎は光の海にひとりで立ち尽くしていた。
どこか見覚えがある世界。
そう……初めて有馬神社へやって来た時に……いや、それ以前から、ずっとずっと前からここを知っているような気がした。
……落ち着き、心安らぐ場所。
現在でも未来でもない場所。
『やぁ、目覚めはどうだい?』
不意に誰かの声が聞こえてきた。
落ち着いた穏やかな声だ。
まるで幼馴染みに声を掛けるような気さくさで悠志郎に問いかけてくる。不思議と不快ではない。
『悪くないよ。でも……これを目覚めと言うのだろうか?』
辺りは見渡す限りの光に被われているのだ。
こんな現実世界があるはずはない。
だとしたら、これは夢としか思えない。
そんな世界にいるのに、目覚めと言うのもわけの分からない話だ。
『目覚めさ……多分ね。君に力を与えた人の思惑とは、違う形の目覚めだけど』
よく意味が分からなかったが、不思議と苛立ちは感じなかった。
『……もう少し分かるように説明してもらえると助かるんだけど』
悠志郎の質問に、声は少し考えたように沈黙した後、ゆっくりと語り始める。
『悠志郎……君は神の力を託された神威(かむい)の子なんだよ』
『神……威……?』
『そう、幼い頃にそう宿命付けられたんだよ。君が力を望むなら、その手を動かすように使うことができるはずさ。どう使おうと君の自由だ。多分……この世界に君を止められる人はいないと思うよ』
『はぁ……まるで三文小説の主人公になった気分だよ』
悠志郎は思わず落胆の溜め息をついた。
彼の口からは胡散臭い話しか出てこない。
子供だって、もうちょっとまともなことを言うだろう。
『まぁ、そう言わないでくれよ。でも……そうだね。これから先を三文小説にするか、名作伝奇浪漫にするか、それとも……ごく当たり前の神事に携わる男の平凡な人生手記にするか。全部君次第なんだ』
そう言い終えると、彼の存在が徐々に小さくなっていく。
姿は見えないが、おそらく彼は立ち去ろうとしているのだろう。
『もう……行っちゃうのかい?』
『そうだね……そろそろ僕は行くよ』
『なんだか、君の言っていることは最後まで分からなかったよ』
『僕が言ったことは全て真実さ、僕はもう一人の君だからね。結果はいずれ分かるよ』
もっと色々と訊きたいことがあったのに、声の主は笑い声を残して消えてしまった。
いや……元から姿形はなかったのだから、その気配が消えたと言った方がいいのだろうか。
結局……悠志郎が何者なのか。
神威の子とは何なのか?何ひとつ、はっきりとしたことは分からなかった。
彼は御伽草子の主人公も腰を抜かすようなことばかり告げていった。
でも、不思議と引き止めようとは思わなかった。
いずれ分かる。
すぐに……分かる……。
その言葉の意味を、悠志郎は本当は知っているような気がしていた。