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ブックエンドと君の名前
【純文学 その他小説】

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ブックエンドと君の名前-3

 街の様子は昨日よりもずっと寂れていた。商店街の店はほとんどシャッターを降ろしていたし、人々はだいたいが故郷に帰るなりどこか遠くへ行って三日間に限定された放浪を精一杯楽しむなりしているようだった。都会では強姦などの犯罪が横行していたり(それを阻止してしかるべき機関も機能していなかった)自殺や無理心中が後を絶たなかったりと、それなりにひどい事になっているのだが、中澤にはそんなことは知ったことでなかった。

 知ったこっちゃない、と中澤は思った。好きにしたらいいんだ、お前らがいつもそうしているように。

 中澤は店を一軒一軒じっくり眺め、アーケード通りの端っこに酒を買うためによく入っていた酒屋を見つけた。中澤は酒屋のシャッターの鍵を蹴り壊して中に入り、懐中電灯で照らして暗い店内を探索した。奥の壁面にウィスキーの棚を見つけて、下段に並ぶ上等のスコッチをいくつか開けてひと口ずつ飲んでみた。しかし暗闇の中で正確な味を判断するというのは思いのほか難しいことだった。味覚を機能させるには十全な色覚がまず必要とされるのだ。中澤は電灯でボトルを照らしてみたり、床に垂らしてみたりした。そうこうしてようやく何本かに絞り込み、もう一度飲んでまた絞った。消去法の戦乱を最後まで生き残ったのはタリスカーだった。タリスカーのボトルを雑貨棚に持って行って、スチール・フラスコに満タンまで注いで尻のポケットに入れて店を出た。彼が店から持ち出したものは安物のスチール・フラスコと、スチール・フラスコ一杯ぶんのウィスキーと、目に付いた頑丈なコルク抜きだけだった。平和で無欲な強盗だな、と中澤は彼ながら思った。金の必要性がなくなったとき、同時に多くの欲が消えうせる。多くの欲は金そのものの足元から伸びる影に過ぎないのだ。というのが彼の持論であった。

 中澤は暗闇に目が慣れてしまったらしく、店から出てもしばらくは目を細めてやり過ごすことになった。瞳孔が太陽光に馴染んでくるとゆっくりとまぶたを押し上げ、ため息をつき、スチール・フラスコを取り出してタリスカーを試しにひと口飲んだ。口の中に生じた熱はのどをとおって胃までするすると落ちていった。やはり暗闇の中で飲むよりは比較的クリアな印象があった。中澤はほとんど一日中酒を飲んでいるにもかかわらず不思議とまったく酔わなかった。目の奥にかすかな重みを感じるだけだった。そんなに強いほうじゃないんだけどな、と彼は思った。不思議なものだ。

 中澤は小さな橋を渡って、図書館へ向かった。コンクリートをえぐって削って作っただけというような野暮ったい図書館だ。隕石のニュースが報道される以前からあまり利用者はいなかったし、報道されたあとに突然盛んになるということもないようだった。その建物からは宿命的な孤独感が湯気のように高い晩秋の空へ向かって立ち昇っていた。図書館は世界が崩壊することなどずっと昔から承知していたというような、訳知り顔で佇んでいた。なんだい、みんな今ごろになって慌て腐ってさ。そんなの、俺はずっと前から知ってたもんね。

 開きっぱなしになっている自動ドアをくぐり、中澤は読書室を目指した。通路は駄目になったスピーカーの内部のように静かで、山奥の洞窟のように肌寒く、歩くたびに足音が拡大されて不自然な響き方をした。暗いが電灯を使うほどじゃない。この図書館はいつだって暗いのだ。中澤は以前からこの図書館を利用する数少ない人間のひとりであったため、迷うことなく読書室の木戸を見つけることができた。

 読書室には本を読んでいる女の子がひとりと、そこに現れた中澤を除けば誰もいなかった。書架と書架のあいだに誰かいてもおかしくないが、気配はなかった。中澤が戸を開けたとき、女の子ははっと顔を上げ、中澤の様子をしばらく見物してからまた本に目を落とした。女の子は濃いグリーンのデニムのロングスカートを穿き、枯葉色のジャケットを着ていた。だいたい十九歳か二十歳くらいに見える。二十一歳には見えないし、かといって十八歳と見るのも適切でなかった。人がひとりでもいたことに中澤は驚いたが、いや、驚くべきことでもないな、と思い直すことにした。本を読みたい人間が本を読みに図書館へ来ておかしいことはひとつもない。彼もまた本を読みたいと思って図書館へ来たのだ。上腕筋を鍛えたいのならスポーツ・ジムへ行っている。


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