投稿小説が全て無料で読める書けるPiPi's World

例えばこんなカリキュラム
【二次創作 官能小説】

例えばこんなカリキュラムの最初へ 例えばこんなカリキュラム 75 例えばこんなカリキュラム 77 例えばこんなカリキュラムの最後へ

〜 道徳・規範 〜-2

 ……。


 2番、住みよい社会をつくること。

 公共の場において自分のことだけを考え、周囲に迷惑をかけているメスが散見される。 自慰を命じられて絶頂し、痴汁のくっさい香りをまき散らすメスは、『匂い』を出していいという許可をもらっていないにも関わらず悪臭で周囲を不快にする。 上品な放屁を要請されておいてつい破裂音を漏らす締まりのないメスは、周囲の話の腰を折るという不遜を犯したに他ならない。 私たちの社会ではその場に応じて周りの人に配慮し、互いに助け合うことが必要だ。 自慰を命じられたクラスメイトがいれば、横に待機してすぐに痴汁を舐めとる準備をするべきだし、放屁を要請されたクラスメイトがいれば、肛門を舌で解(ほぐ)して筋肉を緩められる体制をとるべきだ。

 もし誰もが自分のことしか考えず、勝手な行動ばかりとる社会になれば、どうだろう? いつでも自慰しかしないクラスメイト、いつでもマンビラを拡げて踊ってばかりの教員、所構わず排泄姿を見せびらかす校務員……考えただけでゾッとする。 自分の劣情をキチンと管理し、要請があればいつでもどこでも即座に対応することが、そのまま他者への配慮になり、住みよい社会へと繋がる。 私たちが自分に課すハードルは、決して高すぎるということはない。 

 旧世紀の実業家、渋沢栄一翁の『いくら年をとっても人間を辞職するわけにはいかん』に倣えば、『いくら自慰に耽ってもメスを辞めるわけにはいかない』と換言しても誤謬はないだろう。


 ……。
 

 3番、公平で公正な社会。

 公平で公正とは、つまり差別やイジメがない状況だ。 

 学園にはイジメがない。 定義の面からいって、指導や躾が存在するのはわかるが、イジメという集団仲間外れは存在できない。 全員が等しく弱者、つまり優秀でないからだ。
 
 学園には差別がない。 差別とは上下関係から生まれる。 学園生徒は等しく優秀でない、つまり最下層におり、いまさら上下もへったくれもない。 

 つまり、学園は既に公平で公正。 現代のシステムをなぞってゆけば、公平さも公正さも自然と達成できるだろう。 旧世紀の弁護士、マハトマ・ガンディーは『全ての人の目から、あらゆる涙を拭い去ることが私の望みだ』といった。 私たちの目から涙がなくなることはないが、少なくとも涙をもたらす原因は『不公平・不公正』とは無縁である。。


 ……。


 4番、集団生活の向上。

 どんな集団でも、目標を達成したりそこで更に高みを目指すには、構成員全員の協力が不可欠だ。 仮に私達Cグループ2組から殿方に比肩しうる生徒がでるとしよう。 彼女は、私を含めた全員が目標に向けて全力を尽くした結果、特に秀でたモノをもつ生徒のはずだ。 仮にCグループ2組が社会見学にゆく資格を得たとしよう。 誰か1人でも社会道徳を備えていないと判断されれば校外に出してもらえないのだから、私達全員が道徳の修得に勤しんだ結果の筈だ。

 学園初年度、Cグループ2組という集団。 時に股をまさぐり、時に互いの汚物に塗れ、時に自分を汚し、時に厳しい躾に耐える仲間たち。 私たちCグループ2組は、何を目標に進めばいいのか、あやふやなままでは勿体ない。 かといって全員が同じ方向を向けるほど、確固たるリーダーもヴィジョンもない。 この中で『私』に出来ることなんてあるんだろうか? 

 ……比較的、私は『痛み』に強いと思う。 同室の先輩から厳しく躾られているし、元々皮下脂肪が厚い方だ。 だから例えば、痛み系の指導が入ったとき、先陣をきってみんなに模範を見せることは出来そうな気がする。 旧世紀の劇作家・小津安二郎がいみじくものたまったように、『ヒトは自分が置かれたその中で、最善を尽くすしかない』という。 いつも22番さんが指導を受ける際の『口上(こうじょう)』を正しく喋って私たちを助けてくれるように、私にも役に立てる場面はある。

 だからといって、自分から率先して矢面に立つほどの覚悟があるかというと、正直に言えば、今の私にはありません。 でも、もしかしてどうしようもない時がくれば、その時は自分から前に出るのも悪くないとも思っています。 




例えばこんなカリキュラムの最初へ 例えばこんなカリキュラム 75 例えばこんなカリキュラム 77 例えばこんなカリキュラムの最後へ

名前変換フォーム

変換前の名前変換後の名前