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例えばこんなカリキュラム
【二次創作 官能小説】

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〜 道徳・規範 〜-1

〜 29番の道徳 ・ 規範 〜

 学園における道徳カリキュラムは全4章からなっている。 第1章で自分をみつめ、第2章で他者と支え合い、第3章で生命そのものを尊重する。 これらは全て第4章に掛かっており、そういった徳性を踏まえた上で『社会の一員』になるために実践すべき項目が列挙してある。 

 第4章 『社会に生きる一員として』

 @法やきまりを守る
 A住みよい社会をつくる
 B公平、公正な社会
 C集団生活の向上
 D勤労や奉仕を通じて社会に貢献する
 E学園生の一員としての自覚
 F家族を誇りに思う
 Gふるさとの発展のために
 H国を愛し、伝統を継承する
 I国民の自覚をもって世界に貢献する

 ……一部に過去に学んだ項目と重複するものもあるが、異なる点といえば、どれも私たちの行動を規定しようとする。 態度、視線、姿勢、言葉遣い……様々な大義名分のもと、私たちは社会の一員として『空気』を読まなくちゃいけないんだろう。 

 だとすれば、道徳の授業は実生活に、きっと役立つ。 湧いてくる反感に身を任せるのは得策じゃない。 寧ろ積極的に受け入れてこそ、学園において立つ瀬ができる。
 
 社会にでるためには、少なくともこういった素地が必要だから。 徳目を意識することなく自然に教科書のような振舞いができるようになることで、正しく空気を読めるようになる気がするから。 そもそも受け入れる以外の道が、私達には用意されていないから。 自分たちで道を切り開くには、あまりにも設定された壁が高すぎるから。 考えて行動するよりも、無条件に受け入れる方が楽だから。

 どっちみち受け入れさせられるなら、せめて自分から能動的に受け入れるよう振舞う方が、まだしも人間らしい気がするから。


 ……。


 1番、法やきまりを守ること。

 旧世紀江戸時代、会津藩には『什の掟』なる規則があった。 この精神は現代に通じる。
 『虚言(うそ)をいうことはなりませぬ』……絶頂していないのに、したフリなんて許されない。
 『卑怯な振舞をしてはなりませぬ』……指導には笑顔。 感謝の気持ちを忘れてはならない。
 『弱いものをいじめてはなりませぬ』……最弱の身分を自覚し、常に虐めて頂く気概が必要だ。

 旧世紀の企業でも、構成員に対して内規があった。 学ぶ点は多くある。
 『よりよい商品をつくります』……身体を鍛え、心を磨き、自身をよりよい品物にかえる決意。
 『環境保全に努めます』……自分の外的要因の価値を、自分自身より上において行動しよう。
 『社会貢献活動を進めます』……少しでも社会に役立つ機会があれば、どれほど自身の負担がおおきかろうが、顧みてはいけない。

 旧世紀のオリンピック憲章では、スポーツ全体に厳しい哲学を求めた。
 『オリンピズムとは、肉体と意志と知性の資質を高めて融合させた、均衡のとれた総体としての人間を目指すものである』……学園カリキュラムは、性欲と劣情と淫汁から出発し、社会の歯車となるべく自分を律することができる存在を目指すものである。
 『人種、宗教、政治、性別、その他の理由に基づく国や個人に対する差別は、いかなる形であれオリンピックとは相容れない』……人とヒト科メスの違いは、性差のように曖昧なものではなく、優秀かそうでないかに起因する。

 これらは大まかな規則であり、異なる団体に所属する場合は必ずしも有効ではない。 したがって互いに権利を尊重するためには、いくつものルールが必要になる。

 小さい規則では『門限』や『部則』だ。 寮は7時の食事が絶対の門限で、遅れようものなら『額縁』『磔』『反省文』のフルコースになる。 クラブごとに決められた部則では、例えば吹奏楽部が他人の楽器を触った場合、全部員の楽器を膣で洗浄するよう定められている。

 中くらいの規則では、校則や条例だ。 教員の指導にしたがわなければ補習が待っている。 社会見学などで学園外に出れば、自治体の条例を守らねばならない。 条例で『自慰禁止区間』に定められた場所で絶頂に達しようものなら、公開裁判と簡易懲役が待っている。

 大きい規則といえば『法律』と『憲法』だ。 条文で明確に行動を規定する法律は絶対で、仮に上司から道端の郵便ポストで『擦りつける型の自慰』をするよう言われれば、民法管理職規定14条2項により、仮に条例で禁止されている行為であっても、指定の自慰を行わねばいけない。 『憲法』となると大きすぎて日常とは縁が薄いが、あらゆる行動は憲法の規定を受けていて、優秀な立場に命令権があることも、突き詰めれば根拠は憲法に由来する。

 スポーツにしても交通にしても、日常ありとあらゆる場面で、ルールを守る姿がある。 賤しいメスたる私達は、卑しさを自覚し、隠すことなく恥ずかしい自分をさらけだすことが、現代社会において定められた規則だ。 厳粛な講堂で、或は校外の美術館で、時と場合を選ばずみっともない体勢で淫語を絶叫し、奇矯な言動に没入し、恥を掻く姿こそ相応しい。 周囲の一般人と自己の間に明確な線を引くことが、常に私達には求められる。 これらを社会の要請と見做して従うことが私達の義務であり、私達の無様な姿を愉しんでもらい、或は役立ててもらうことが私達の権利といえよう。

 旧世紀の文人、夏目漱石は『義務心を持っていない自由は偽物だ』と述べた。 ルールに従い、くっさくてみっともない自分を隠さない心構えがあって初めて、私たちは学園の次のステージに進むことが認められる。






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