〜 道徳・自己 〜-3
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『未来とは何か。 弱者にとっては【不可能】、臆病者にとっては【不可知】、勇気あるものにとっては【理想】である』 世界一短い手紙で知られる古代フランスの作家、ビクトル・ユーゴーによる寸評だ。
私達が道徳を通じて学ぶ4つめの項目は『理想を求め人生を拓く』ことだ。 人は歴史が始まって以来、理想を求め、理想に向かうこと自体に生きる意味や価値を見出してきた。 私達牝もまた、どんな境遇にあっても理想を愛し、理想を求め続けることが、社会へ貢献する原動力になるという。
幼年学校のころは、あれもやりたい、これもやりたい、医者、看護婦、弁護士、スポーツ、お菓子屋さん、花屋さん――とたくさんの未来像を描いていた。 学園に入学して、すべてが私達にとって分不相応で、願うことすら不遜なものだと知った。
医療は、すべて機械化されている。 優秀な殿方が作成したプログラムに則って、診断から治療までオートメーション化されたという。 看護婦など、とっくの昔にいなくなった。 牝は管理される対象で、管理する側にいるわけがない。 『備品』もしくは『介助用具』として牝が病院に配属される例はあっても、医療の主体に牝は必要とされていない。 弁護士は夢のまた夢だ。 殿方全員が法学に長けており、犯罪も全くない以上、牝は管理されることで社会規範を守っていれば十分といえる。 スポーツ選手、これは牝が役割を見いだせるだろう。 ただし牝が行う膣主体のスポーツは迫力に乏しく、殿方に人気はないらしい。 例えばテニス選手になり、誰も観客がいないコートで、股間からテニスボールを取り出して、ぬめったボールを使ったラリーをする日々を迎えたとしよう。 正直幸せを感じる自信はもてない。 だったら食糧、植物栽培はというと、これも工場と農家が一手に引き受け、私たちが関われるとしてもメンテナンスや耕耘機の代役だ。 理想とするには哀しすぎる。
いま、正直いって、私はこの先に対するはっきりした目標を掲げられないでいる。 だから毎日がこんなにも長く、それでいてあっという間で、辛く、息苦しく、密度が薄いんだと思う。 夢に近づいてBグループに進級した先輩が眩しいのは、例え過酷な職業であっても、目標に定めて毎日を過ごしているせいだろう。 私の理想、将来の夢は……理想……ダメだ、言葉にする勇気がない。 学園を卒業して、私が育った施設の寮母さんになって、小さい子供を元気にしたいなんて――自分でも嘘くさいと思ってるのに、言葉にするなんて、あんまり遠くて空虚すぎます。
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『人は人 吾は吾なり とにかくに 吾が行く道を 吾は行くなり』とは、西田幾多郎が遺した句。
1章最後の項目は『個性を伸ばす』だ。 自分はこうありたい、という想いを糧に、自分の向上・改善に努める。 その中で心がけるべきは、自分の武器を育てること。 自信の源を育て、尖らせ、社会に役立つレベルまで鍛えることだろう。
自分の性格、体質、機能について、いいところをイメージする。 性格は『臆病で』『空気を読む性(たち)』だ。 体質は『乳首がすぐ固くなる』ことと『感じると身体がポカポカ火照る』ところがある。。 機能は『お尻にたくさんモノが入る』のと『肌の傷の治りが早い』ことは、優れているといってもいいんじゃないだろうか。
これらの点を磨いて個性にすれば、『殿方の意向を早期に察知し』て、『乳首による勃起操作や熱反応によるセンサー入力』によって、『おケツに納めた機器を作動する人間部品』になれるかもしれない。 もっとも部品になんて、本当はなりたくないんだけど……。 とにかく、私らしさが私の良さと評価されるように、自分自身を磨こうと思う。
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自分自身を深くみつめ、あるべき自分の姿を描きながら生きていきたい。
例え私たちが学園という楔の中にあったとしても、前を向いて一歩一歩進むしかないんです。