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珍客商売〜堕ちた女武芸者〜
【歴史物 官能小説】

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誘拐された椿-1

 同じ頃、事件は思わぬ展開を迎えようとしていた。
 前夜から椿の後をずっと尾行していた男がいた。山鹿弦斎の息のかかったやくざ者である。
 その男は三田の小谷屋や椿の行く先を突き止めて、逐一弦斎に報告していた。
 つまり、秋山藤兵衛とお京の探索も遅きに失したことになる。
 ご禁制の品を扱う抜け荷などという大それたことをしでかす連中の怖さ、恐ろしさを舐めていたということだった。
 それは藤兵衛をして『一生の不覚』と言わしめるほどの痛恨の過ちであった。

「はぁ…」
 その日、椿は小谷屋の離れの座敷にいて退屈しきっていた。
 藤兵衛からは当分外出はせず小谷屋にいるようにきつく言い渡されたのであるが、何しろ毎日剣術の稽古を欠かないほどのじゃじゃ馬娘である。
 お茶を飲んだり家にある貸本をめくる程度の楽しみでは、我慢が出来ないのだ。
(秋山先生は家にいろと言うけれど…どうにも退屈でたまらぬ…)
 椿はすっくと立ち上がると、着物の上から袴をつけ始めた。
「お嬢様! どちらへ行かれます?」
 椿は小谷屋の裏口から出ていこうとするところを、庭を掃き清めていた手代の弥吉に呼び止められた。
「うむ。深川の秋山先生のところに行ってくる」
「お戻りは?」
「夕方までには戻る。安心しろ」
 そう言い残していそいそと出かけてしまったのである。

 そして一刻ほど後。
「もし…。秋山先生はおられるか? 大二郎殿?」
「……………」
 秋山道場に現れた椿が玄関で呼んでも、答える者はいない。
 二人とも外出しているようだ。
 鍵もかけずに出かけるとは何とも無用心な話だが、こんな傾きかけた貧乏道場に盗まれるような貴重品があるわけでもない。
 藤兵衛と大二郎は謎の女の素性を探るべく、周辺で聞き込みを始めていたのである。
 椿としては何か探索の進展はあったか聞きたかったし、久しぶりに藤兵衛に稽古をつけてもらえないかと思ったのだ。
「二人ともおらぬか…。つまらぬな」
 椿はしばらく玄関に腰掛けて二人を待っていたが、やがて四半刻もすると飽きてしまった。
「ふぅむ…」

 半刻後、秋山親子が道場に戻った時、椿の姿はそこにはなかった。
「くんくん。おい大二郎。何やら良い匂いがせぬか?」
 これは椿の好きな白壇(びゃくだん)。甘く爽やかな香りであった。
 大二郎は愛しい女の残り香に色めき立った。
「…こ、これは椿殿が持っておられる匂い袋の香りだ! 椿殿がここに来たのだ!!」
「いかん! ワシがあれほど出歩くなと念を押しておいたのに…。大二郎よ、急いで椿ちゃんを探すのじゃ!」
「はいっ!」
 これが二人の運命の分かれ道になろうとは…。
 この半刻の遅れを、大二郎は後にどれほど悔やんだことか。

 一方、椿は道場を出てぶらぶらと散策しながら行先を考えていた。
 そして京橋の辺りにはまだ行っていない道場があるのを思い出し、散歩がてらそこまで言ってみようかと思い立った。
(あそこなら退屈しのぎになるかもしれぬ…)
 しかし、のんびり歩く椿の後ろ姿は二人のやくざ者によって交代でしっかりと尾行されていたのである。
 椿は京橋の道場で他流試合を申し込み、門下生とさんざんに打ち合いをした。
 もちろん全戦負けなしである。最後に道場主との立合いと所望したが、道場主は椿の腕前を見るとにわかに腹痛を起こして奥に下がっていった。
(ふん、しょせんこんなものか…)
 と、椿が天狗の鼻を高くしたのは言うまでもない。
 結局、帰途についたのは暮六ツを少し過ぎる頃であった。
 汗をかき火照った身体には夕暮れの風が心地よい。椿は白い首筋に風を感じてふと我に返った。
(いかぬな。これがばれたら、秋山先生にきつくお叱りを受ける…)
 楽しいひと時を過ごしたはいいが、さすがに気が咎め、帰り道を早足で急ぐ椿。
 三田へと向かう街道筋にある、大きなけやきの木の下を通った時に事件は起きた。

 ばさぁっ!!
 椿の頭上から、何か大きく黒いものが降ってきた。
「わあっ!!」
 思わず叫び声を上げてもがく椿。よく見るとそれは投網であった。
 さしもの椿も網が相手では刀を抜けず、身動きもとれない。
「くそっ、卑怯者めーっ!! どこの輩だ?!」
 椿が怒りの声を上げると、それを合図に物陰から先日の浪人たちがぞろぞろ姿を現した。皆、にやにやと笑っている。
「はははは、無様な姿だな! 小生意気な色若衆よ、過日の恨みを雪ぎに来たぞ!」
「お主にやられて屋敷に戻ったら、玄斎先生にさんざ叱られたわい。この業腹、どう晴らしてくれようかの?」
 髭面の浪人が言った。この男は安田重右衛門といって山鹿弦斎の腹心の部下なのだ。
「まずは軽くお礼をさせていただく。おい、やれっ!」
「はっ!!」
「う…やめろっ! 何をする! 離せっ!!」
 椿は必死で暴れるが、全身を投網に絡め取られていては何もできない。たちまち両腕を掴まれて引き出されてしまった。
「やあっ!!」
 重右衛門は手にした薪雑把を鋭い気合と共に、椿の二の腕目がけて振り下ろした。
 ゴスッ!! 鈍い音が響く。
「うぐうううううぅぅぅぅ……ッッッ!!!」
 そして椿の苦悶の絶叫。歯を食いしばって耐えるが、あまりの激痛に身動きが取れない。
「ふふふ…。骨は折れておらぬようだが、当分刀など持てまい。お主に剣の腕を振るわれては迷惑なのでな」
「では先日のお礼にお主をじっくりともてなしたい故、我らが屋敷までご同行願おうか…」
「それっ!」
 浪人たちは椿を無理矢理立たせると、その鳩尾に拳をめり込ませた。
 ドスッ!
「うぅ〜…む…」
 へなへなと崩れ落ちる椿。浪人の一人がそれを抱きとめると、そのまま担ぎ上げる。
 網の上からさらに筵をかけ、用意した大八車に乗せて浪人たちは上機嫌で引き上げていった。


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