〜 社会・現社 〜-2
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21××年。 石油に含まれる炭素間二重結合を解消し、オクタン値をゼロにする菌が発見される。 石油分解菌というべきこの菌は瞬く間に地球各地で繁殖し、産業に用いることが可能な石油が枯渇する。 すでに天然ガスに大部分の都市・工場がエネルギー源をシフトしていたため、人類に致命的な打撃とはならなかった。 が、石油化学工業および飛行機と自動車産業は壊滅した。
21××年。 天然ガス田で同時多発的に火災が発生する。 ガスパイプに設備を義務付けられた外部連絡管を通って爆発が拡散し、ガスパイプに沿った地域に連続して火災が発生。 ガスに依存するヨーロッパ諸都市がガスの元栓から吹き出す爆鳴気により、例外なく大火に包まれ、壊滅する。 後に『ファーストバーニング』と呼ばれる一連の大火災により、ヨーロッパ、ロシア、アメリカ西海岸など、世界の主要都市が姿を消した。 これを契機に国連主導で『家庭エネルギー管理システム』が全世界に普及する。
21××年。 『家庭エネルギー管理システム』に発生した致命的バグにより、国連、各国政府の情報網がパンクする。 同時に原子力発電所の制御棒がコントロール不能になり、世界約200箇所の原発のうち、所員が身を挺して緊急停止した原発を除く、190箇所がメルトダウンを起こした。 後に『セカンドバーニング』と呼ばれる同時原発災害により、世界中に放射能が拡散し、世界人口が1/3に減少した。 国連は『家庭エネルギー管理システム』の運用を停止を宣言するも、世界からの信頼を失った。
21××年。 資源の枯渇によって米国との政治的駆け引きで劣勢になった露国が、隠ぺいしていた核兵器を世界各地に発射する。 残存していた都市と、南米大陸とアフリカ大陸が壊滅する。 後世の『サードバーニング』とされる国家テロリズムにより、米、英、中、仏が壊滅。 世界人口が更に激減した。 先制攻撃に使わなかった核と、近隣国の資源によって世界を統治するべく露国が国連を主導するも、残存国家が団結して露国に対抗。 通常兵器と核兵器による戦争、『第3次世界大戦』が勃発し、クーデターにより露国が倒れ、最古の共産主義国家が地上から姿を消した。
21××年。 『ADB』に対する国連の封鎖が緩んだことで、残存国家が『ADB』と交流を開始。 壊滅した日本列島では独自エネルギーにより文明が維持されていたことが発覚する。 『ADB』代表のO城グループは、国連にエネルギー支援を提唱。 大気循環エネルギーを西側諸国に支援、マントル対流エネルギーを環太平洋諸国に支援することが決定した。 『ADB』は隔離措置が正式に撤回されたことで、新たな国家として国際連合に加盟した。
21××年。 『ADB』が露国が抜けたあとの国連常任理事国に任命される。
21××年。 韓国を除いた全加盟国の賛成により、『ADB』が新しく国連内に設けられた『筆頭理事国』に任命される。
21××年。 韓国政府が『ファースト、セカンド、サードバーニングは『ADB』による国家犯罪』との声明をだす。 『ADB』は即座に韓国に反論、国連に詐欺誣告で訴えを起こす。 一時的に『ADB』のシステムがダウンし、世界へのエネルギー供給が途絶えるものの、国連が『ADB支持』を表明した翌日にシステムが復旧する。
22××年。 『国際連合憲章』を再規定し、現在の『国際連合憲法(通称統一憲法)』が全会一致で民主主義的に認定される。 現在に至る『民主的に選ばれた共産主義』が誕生する。 西暦を改定し、ここまでをイエスキリスト誕生から22××年までを『旧世紀』、この日をもって『新世紀』とし、皇国歴を採用する。
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過去、学園で現代史を学んだとき、私の脳裏には一抹の疑問が浮かんでいた。 もしかしたら、
『すべては誰かの掌で転がされていた』
のではないだろうか?
ユーラシア大陸の東端にある、小さな列島を隔離する。 列島内部で、それまでに存在しない究極のエネルギーが開発されても、世界は全く気付かない。 その間に世界は内部で抗争にあけくれ、いつしか団結を失ってしまう。 突如勃発した『バーニング』は、それぞれ尤もらしい理由をもつとはいえ、私にはいかにも唐突に思える。 誰かが裏で糸を引いて、計画的に世界を消耗させようとしていないなら、こんなに都合よく事件は重ならない。 世界を引っ張ってきたシステムが壊れたちょうどその時、数段上かつ無傷の『ADB』が登場したことも、出来過ぎと言えば出来過ぎだ。
すべてが『とんでもなく優秀な人物』のシナリオだとしたら? 一方的に滅ぼされ、隔離され、ひっそりと技術を開発し、世界の既存体制を崩壊させ、国際舞台に返り咲き、一気に世界の頂点に立つ。
世界が抱える『エネルギー問題』を解決した『ADB』は、まさに世界の救世主だったろう。 批判なんて出来るわけがない。 弱った世界は『ADB』に頼り、危うさを感じつつも批判精神を発揮することなく、世界の運命を『ADB』に託した。 一握りの優秀な集団に未来を託す――現憲法がもつ優秀さへの無条件の信頼は、旧世紀の限界を体感した末に導かれた人類の知恵。
人を人として扱う旧世紀は、約2000年持続した。 優秀でない人をモノとして扱う新世紀は、果たして旧世紀の2000年という記録を超えるだろうか? もしも『とんでもなく優秀な人物』がシナリオを描いていて、優秀さが普遍の価値を持つのなら、新世紀はどこまでも続いてゆくことだろう。
現代史を教えるときは、常に頭の片隅がキリキリ痛む。 今の私は教員であり、疑問を探求する研究者ではない。 ただ与えられた情報を生徒に媒介するだけだ。 学生時代に脳裏を掠めた疑問に対し、納得ゆく答えは永遠にだせそうにない。