〜 社会・通史 〜-2
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歴史の表舞台といえば『政治』になる。 古代の殿方は賢明にも女性を歴史から遠ざけた。 代表をB.Cローマのカトーに依ると、『女性に男性と同等の権利を保障すれば、女性はすべてを専横する』という。 至言といえよう。 跋扈した民主制も当初女性に選挙権を認めないうちは機能したが、性差(ジェンダー)を論じるころから急激に体制は崩れていった。 そんな中、政治舞台にたった数少ない女性の素行を紹介するならば、まさに『愚』の一言に尽くされる。
B.C900、セラスミス。 英称『サンムラマート』 羊飼いに拾われ、羊姦に供されていた身分から時の王に見初められ、調教され登壇した。 しかる恩義の一切を無視して主人を毒殺してからは、空中庭園造成や乱交、拷問といった性的趣向に生きた。 女性本来の性欲を遺憾なく発揮したため愛人が多過ぎ、生き埋めするために造成した堤防は長さ数十キロに及んだ。
B.C180、呂雉。 通称『呂后』と呼ばれた皇后だ。 自分を躾けてくれた夫の死後、鎖を解かれてしたことといえば、同性の目玉を抉り、耳を削ぎ、声帯を潰し、手足と舌を切断して穴におとし、衆人にその上から排便させるようなことばかり。 再生医療が未発達な時代なので、毀損した肉体が回復する見込みはない。 全てを台無しにして一時の興を得るという、典型的な情痴だ。
B.C30、プトレマイオス朝フィロバトル。 『クレオパトラ7世・クレオパトラ』として知られる。 精力的な殿方に次々見初められ、優秀なオナホールとして重用された。 絨毯に自身を包んで献上したり、香を炊いて肌を食材を載せる皿に供したりというように、自身の価値が家具レベルだとは弁えていたが、単なる家具で我慢できない女性特有の浅はかさから身を滅ぼした。
A.C15、ユリア・アグリッピナ。 母との区別から『小アグリッピナ』と呼ばれる。 殿方を産むことができた光栄に飽き足らず、飼い主の夫をキノコで毒殺する大逆や、或は御子息の移動中にオナホールとして身を挺する不敬を致した。 帰結として御子息に誅されたが、その際も自分の膣を拡げて『彼はここから産まれた』と叫んだという。 最期まで女性の思い上がりを体現した。
A.C650、武照。 通称『則天武后』と呼ばれ、皇帝の座につく。 自分を躾けてくれた夫の死後、もともと自制心は欠片もなく、同性の四肢を切断して生きたまま酒壺につけ、断末魔を子守唄にしたという。 他者の姓を『蛇』や『梟』に改称して侮蔑したが、身体に内臓と直結する穴が空いている時点で自身が卑猥な存在なことには、終生気づかなかったという。
A.C1500、メアリー・オブ・イングランド。 メアリー1世として英国を統治。 殿方の都合で身分が侍女から王位継承者まで変化したことで精神に異常をきたした薄弱児。 自身の見解と異なる宗教家を好んで火炙りにし、宗教界の資産を横領した。 想像妊娠や腫瘍を懐妊と誤解するなど、諸事自身に都合よく考えなければ気が済まない性格は、女性の典型例だといえる。
A.C1550、エリザベス1世。 世間から『グッドクイーン・べス』と僭越な綽名を貰うものの、実態は被虐好きなM女だった。 不安定な身分から王家の飼い犬に引き上げてくれた女性を裏切り、殿方にお尻を叩いて躾けられることに性的快楽を見出す。 終生躾けてくれる主人を持たず、その後も老若を問わず殿方を近づけ、膣を使うことなくスパンキングに屈する快楽を満喫した。
A.C1620、クリスティーナ。 東欧で文化的サロンに生まれた『バロックの女王』だ。 名声や平和、統一、和睦といった理想に目がなく、適切に鎖で繋いでくれる殿方を持たなかったため、老デカルト翁を病死させたり、戦争講和を賠償なしに成立させたり、殿方の功績を無に帰し続けた。 自身の改宗や哲学への傾倒も躊躇わず、定見のない一生を過ごした。
A.C1730、エカチェリーナ・アレクセイエヴナ。 『エカテリーナ二世』で知られる。 繁殖能力に富み、温和な夫の指導をうけ多くの子をなした。 夫の不具に乗じて繁殖の本分を忘れ、快楽のために何十、何百という殿方に懇願した。 『王座の娼婦』と孫に呼ばれたが、現代とは異なり、当時は『娼婦』が卑賤とされていた。 オナホールの身分を忘れた本末転倒な事例といえる。